翻訳と辞書
Words near each other
・ アントニオ・ピエドラ
・ アントニオ・ピガフェッタ
・ アントニオ・ピッツォニア
・ アントニオ・ファルネーゼ
・ アントニオ・ファン・ブロウクホルスト
・ アントニオ・フィガーリ
・ アントニオ・フィラレーテ
・ アントニオ・フェリックス・ダ・コスタ
・ アントニオ・フォンタネージ
・ アントニオ・フォーリャ
アントニオ・フランシスコ・ハビエル・ホセ・ソレル=ラモス
・ アントニオ・フランチェスコ・テナーリァ
・ アントニオ・フランチェスコ・テナーリア
・ アントニオ・フローロ・フローレス
・ アントニオ・ブラガ・ネト
・ アントニオ・プエルタ
・ アントニオ・プグリシー
・ アントニオ・プリエート
・ アントニオ・ベサーラ・ブランダーオ
・ アントニオ・ベザーラ・ブランドン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アントニオ・フランシスコ・ハビエル・ホセ・ソレル=ラモス : ウィキペディア日本語版
アントニオ・ソレール

アントニオ・フランシスコ・ハビエル・ホセ・ソレール=ラモス (Antonio Francisco Javier José Soler Ramos, カタルーニャ語名: Antoni Soler i Ramos, 1729年12月3日受洗 - 1783年12月20日) はスペイン作曲家聖職者アントニオ・ソレール神父 (Padre Antonio Soler) の通称で知られる。
カタルーニャウロト出身。6歳でオルガン作曲の勉強を始め、モンセラート修道院の聖歌隊員に加わる。1744年にセオ・デ・ウルゲル大聖堂でオルガニストと副助祭に任命される。後に、ジェイダ(Lleida)とエル・エスコリアル修道院の付属礼拝堂指揮者に任命された。
23歳で叙階を受け、マドリッド近郊のエスコリアル修道院で日課を過ごし、それから31年間を一介の聖職者として過ごした。一日のうち20時間を祈りと瞑想、農耕に過ごし、単調で飾り気のない日々を送った。それでもなお、このように禁欲的な環境の中で、500曲以上の作品を残し得たのである。これらのうち150曲が鍵盤楽器のためのソナタであり、その多くは、スペイン国王カルロス3世の王子で教え子のドン・ガブリエルのために作曲されたのだと信じられている。ソレールの肖像は存在しない。
最も有名な作品は、鍵盤楽器のためのソナタであり、(ソレールが師事したと言われている)ドメニコ・スカルラッティの作品に匹敵する。ソレールの作品は、形式においてスカルラッティよりも変化に富み、いくつかの作品は3楽章や4楽章で作曲されている。ソレールのソナタは、20世紀初頭にF.サムエル・ルビオによって分類され、整理番号 'R' が付されるようになった。コンチェルトオルガンと弦楽器のための五重奏曲モテットミサ曲、オルガン独奏曲などもある。《2台のオルガンのための6つのコンチェルト》は、非常に優れた作品であり、今でもレパートリーを生き延び、頻繁に録音されている。代表作とされるチェンバロのための《ファンダンゴは、現在では果たして真作なのかを疑う意見も出されている。論文『転調論 ''Llave de la modulación'' 』(1762年)も執筆した。
エスコリアル修道院は歴代スペイン王の墓所であり、スペイン王家の夏の離宮としても使用されていた。スペイン王が避暑として修道院に宮廷を移せばドメニコ・スカルラッティも来て、教えを受けた可能性は否定できない。

== 外部リンク ==

*



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アントニオ・ソレール」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Antonio Soler 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.