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アントニオ・マリア・ボノンチーニ : ウィキペディア日本語版
アントニオ・マリア・ボノンチーニ

アントニオ・マリア・ボノンチーニ(Antonio Maria Bononcini、1677年6月18日 - 1726年7月8日)は、イタリアモデナ出身の作曲家チェリスト
父は作曲家でヴァイオリニストであるジョヴァンニ・マリア・ボノンチーニ。兄は同じく作曲家でチェリストであるジョヴァンニ・バッティスタ・ボノンチーニボローニャで兄とともにジョヴァンニ・パオロ・コロンナに師事した。1690年から1693年までローマのベネデット・パンフィーリ枢機卿の宮廷楽団で演奏した。その後ウィーンの宮廷に仕え、1705年にカール大公(後の神聖ローマ皇帝カール6世)の宮廷楽長に就任した。1713年にイタリアに戻り、ミラノナポリ、モデナで活動した。1721年から死去するまでモデナの楽長を務めた。
== 作品 ==

=== オペラ ===

* Tigrane, re d'Armenia(1710年
* I veri amici(1715年
* Il tiranno eroe(1715年)
* Sesostri re d'Egitto(1716年
* La conquista del vello d'oro(1717年
* Astianatte(1718年
* Griselda(1718年)
* Nino(1720年
* Merope(1721年
* Endimione(1721年)
* Rosiclea in Dania(1721年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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