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アントニオ・モンテイロ・ドゥトラ : ウィキペディア日本語版
アントニオ・モンテイロ・ドゥトラ

アントニオ・モンテイロ・ドゥトラ(Antonio Monteiro Dutra、1973年8月11日 - )は、ブラジルマラニョン州ドゥーケ・バセラル出身の元サッカー選手。ポジションはDF(左サイドバック)、MF。通称はドゥトラ
== 人物 ==
ブラジル北東部のマラニョン州に生まれ、同州ののユースチームに所属した後、同クラブでプロ契約。その後はブラジル国内のクラブを渡り歩き、カンピオナート・ブラジレイロ(ブラジル国内選手権)の中で経験を積んだ。
2001年8月、自身初のブラジル国外移籍として日本のJリーグ1部クラブ、横浜F・マリノスに加入して以来、2006年の退団までクラブの中心選手として活躍。移籍シーズンにクラブが直面していた2部降格の危機を救い、2003年2004年にはリーグ2連覇を達成すると共に、Jリーグベストイレブンに選出された。2003-2006年途中に監督を務めていた岡田武史には、ケガ人が続出した際に「ドゥトラだけは代わりはいない」と評された。6シーズンという長期にわたり活躍したが、2006年11月に戦力外通告を受けた。金銭面や若返りを図るクラブの方針によるものとされる。
ブラジル帰国後はマリノス移籍前に在籍していたスポルチ・レシフェへ6年ぶりに復帰。ここでもレギュラーとして起用され〔リーグ戦出場240試合は、ドゥトラの経歴で同一クラブで最も試合に出場したクラブとなる。〕、2008年にはドゥトラにとって初めて母国での全国レベルのタイトルとなるコパ・ド・ブラジル優勝を経験した。
2012年3月23日、同年から在籍していたサンタクルスFCを離れ、約5年ぶりにF・マリノスに復帰することが決定した。前回の退団理由の一つが「若返り」と推測された上、既に38歳とサッカー選手としてはかなりの高齢だったため、その復帰に懐疑的なサポーターも多かったが〔サーチナニュース2012年3月24日付 「サポーターの思いは複雑、横浜F・マリノスにドゥトラが復帰」 〕、同年のJ1第5節で先発出場すると、その後のリーグ戦30試合中28試合に出場して左サイドバックで活躍し、開幕7試合未勝利と序盤に出遅れたF・マリノスが最終順位で4位に入るのに貢献した。この活躍もあり、同年12月21日にクラブ側はドゥトラとの2013年7月末までの契約延長を発表した。
2014年6月に、F・マリノスとの契約終了を持ち、現役生活からの引退を発表し〔横浜F・マリノス公式発表 〕、7月27日に行われた名古屋グランパス戦を最後に引退。引退後はサッカー指導者に転身予定。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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