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アントワネット・ド・ブルボン : ウィキペディア日本語版
アントワネット・ド・ブルボン=ヴァンドーム

アントワネット・ド・ブルボン=ヴァンドーム(Antoinette de Bourbon-Vendôme, 1493年12月25日 - 1583年1月22日)は、フランスの貴族ギーズ公クロードの妻。ヴァロワ朝後期のブルボン家の人物で、父はヴァンドーム伯フランソワ・ド・ブルボン、母はサン=ポル女伯マリー・ド・リュクサンブールである。スコットランドジェームズ5世の妃メアリー・オブ・ギーズの母、女王メアリーの祖母であり、またブルボン朝初代の王アンリ4世の大叔母に当たる。
1513年にギーズ伯(後にギーズ公となる)クロードと結婚し、長女マリー(メアリー・オブ・ギーズ)、長男ギーズ公フランソワを始め12人の子供をもうけた。三女ルネを除く全ての子供たちに先立たれた後、1583年に89歳の高齢で死去した。
== 子女 ==

* マリー1515年 - 1560年) - 1534年にロングヴィル公ルイ2世と結婚、1538年にスコットランドジェームズ5世と再婚
* フランソワ1519年 - 1563年) - ギーズ公
* ルイーズ(1520年 - 1542年) - 1541年、アールスコート公シャルルと結婚
* ルネ(1522年9月2日 - 1602年4月3日) - ランスのサン・ピエール修道院長
* シャルル1524年 - 1574年) - 枢機卿
* クロード1526年 - 1573年) - オマール公
* ルイ1527年 - 1578年) - 枢機卿
* フィリップ(1529年
* ピエール(1530年
* アントワネット(1531年 - 1561年) - ファルムティエ女子修道院長
* フランソワ(1534年 - 1563年) - マルタ騎士修道会会長
* ルネ1536年 - 1566年) - エルブフ侯



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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