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アントワーヌ・アルノー : ウィキペディア日本語版 | アントワーヌ・アルノー
アントワーヌ・アルノー(Antoine Arnauld、1612年2月6日 - 1694年8月8日)は、フランスの神学者、哲学者、数学者、論理学者、言語学者。ジャンセニズムの中心的人物。同名の父と区別するため、「大アルノー」と呼ばれる。ルイ14世の外務大臣を務めたシモン・アルノー・ド・ポンポンヌは甥に当たる。 ==生涯== パリに生まれ、ソルボンヌ大学で神学を学び、ジャンセニズムに傾倒する。ソルボンヌ時代に執筆したイエズス会批判の代表的著述に「イエズス会士たちの倫理神学」がある。ジャンセニスム弾圧の動きのなかで1656年にソルボンヌを追われ、以後ポール・ロワイヤル修道院で抵抗運動を組織する。修道士の教育のために「ポール・ロワイヤル文法」(1660年、ランスロとの共著)、「ポール・ロワイヤル論理学」(1662年、ニコルとの共著)を著述した。1677年にイエズス会やプロテスタントとの論争を再開したが、1679年の庇護者の死を契機にスペイン領ネーデルラントに亡命し、ブリュッセルで客死した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アントワーヌ・アルノー」の詳細全文を読む
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