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アントワーヌ・ド・ブルボン : ウィキペディア日本語版
アントワーヌ (ヴァンドーム公)

アントワーヌ・ド・ブルボン(Antoine de Bourbon, 1518年4月22日 - 1562年11月17日)は、16世紀フランスヴァロワ朝末期の貴族でブルボン家の当主。ヴァンドーム公(duc de Vendôme)。ナバラ女王ジャンヌ・ダルブレ(フアナ3世)と結婚してナバラ王となった(アントニオ1世、在位:1555年 - 1562年)。ブルボン朝の初代、フランスとナバラの王アンリ4世は2人の間の息子である。
ピカルディのラ・フェレで生まれた。父はヴァンドーム公シャルル・ド・ブルボン、母はアランソン公ルネの長女でアランソン家の相続人であるフランソワーズ・ダランソン。弟にアンリ4世と王位を争ったルーアン大司教シャルルコンデ公家の祖ルイ1世がいる。
== 子女 ==

* アンリ(1551年 - 1553年)
* アンリ4世 (フランス王) (1553年 - 1610年)
* ルイ(1555年 - 1557年)
* マドレーヌ(1556年)
* カトリーヌ(1559年 - 1604年) ロレーヌ公アンリ2世と結婚。






抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アントワーヌ (ヴァンドーム公)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Antoine of Navarre 」があります。



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