翻訳と辞書
Words near each other
・ アントワーヌ・モノー・ジュニア
・ アントワーヌ・ライシャ
・ アントワーヌ・ライヒャ
・ アントワーヌ・ラボアジエ
・ アントワーヌ・ラヴォアジェ
・ アントワーヌ・ラヴォアジエ
・ アントワーヌ・ラヴォワジェ
・ アントワーヌ・ラヴォワジエ
・ アントワーヌ・リッソ
・ アントワーヌ・ルイ
アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュー
・ アントワーヌ・ワトー
・ アントワーヌ・ヴァトー
・ アントワーヌ・ヴァロア=フォルティエ
・ アントワーヌ・ヴィールツ
・ アントワーヌ・ヴェシュテル
・ アントワーヌ=アンリ・ジョミニ
・ アントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエ
・ アントワーヌ=オーギュスタン・パルメンティエ
・ アントワーヌ=ジャン・グロ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュー : ウィキペディア日本語版
アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュー

アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュー(Antoine Laurent de Jussieu、1748年4月12日 - 1836年9月17日)は、フランス植物学者。特に顕花植物の分類に関する著書『植物の属』(''"Genera plantarum"'':1789年)の中で、今でも使われている科の多くを定義したことで知られる。Juss.と略される。
ジュシューはリヨン生まれで、叔父であるベルナール・ド・ジュシュー、またアントワーヌ(Antoine)、ジョゼフ(Joseph)も植物学者であった。1763年キンポウゲ科に関する論文を提出して科学アカデミーに認められた。パリ医学を学び、1770年に卒業してパリ植物園に迎えられた。
1774年にベルナール・ド・ジュシューの考えを発展させ、形態による新しい分類体系を公表したが、完成にはさらに15年を要した。彼以前のリンネによる分類は、雄蕊と雌蕊の数によって植物を分類していたので不自然な部分が多かったが、ジュシューの分類体系はより自然なもので、その後の顕花植物の分類すべての基礎となるものである。著書の『植物の属』についてキュヴィエは、実験科学におけるラヴォアジェの業績に匹敵する画期的業績であると賞賛しているが、ジュシュー自身もキュヴィエやオーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドールの仕事から大いに影響を受けている。
1794年に、前年設立された国立自然史博物館の館長に任命された。1804年に医科大学の植物学教授になり、1826年まで務めた。晩年はほとんど失明したが、息子のアドリアン=アンリ(Adrien-Henri)も植物学者となり、彼の後を継いで博物館長を務めた。
== 著書 ==

*Genera Plantarum, secundum ordines naturales disposita juxta methodum in Horto Regio Parisiensi exaratam, anno 1774. MS. notes. Parisiis, 1789.




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュー」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.