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アントン・ファン・ディーメン : ウィキペディア日本語版
アントニオ・ヴァン・ディーメン

アントニオ・ヴァン・ディーメン(Antonio(またはAnthonie, Anthony) van Diemen, 1593年 クレンボルフ (w:Culemborg), ヘルダーラント州, オランダ - 1645年4月19日 バタヴィア)は、オランダ植民地総督
==略歴==

*1616年アムステルダムで商売をした後、オランダ東インド会社従業員になり、オランダ領東インド首都バタヴィアジャカルタ)へ行く
*1630年、Maria van Aelst と結婚
*1631年、帰国
*1632年、バタヴィアへ戻る
*1635年、オランダ領東インド総督任命
*1636年1月1日、着任
*1642年8月アベル・タスマンを現在のオーストラリアの南の島の調査に派遣
 *1642年11月、タスマンは今のタスマニア島の西岸を発見、南岸から東岸へ進路を取り、ブラックマンズ・ベイ に上陸。ヴァン・ディーメンズ・ランドと名付ける(1855年、島は自治植民地になり、タスマニアに改名される)
 *1642年、タスマンはタスマニアの島をディーメンの妻に因んで、マリア島と名付ける
 *1643年、タスマンはニュージーランド北端の岬をマリア・ヴァン・ディーメン岬(:en:Cape Maria van Diemen)と名付ける
*1645年、バタヴィアで死去



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アントニオ・ヴァン・ディーメン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Anthony van Diemen 」があります。



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