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アント・ドロブニャク : ウィキペディア日本語版
アント・ドロブニャク

アント・ドロブニャク(Anto Drobnjak、1968年9月21日 - )は、ユーゴスラビア(現・モンテネグロ)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションフォワード
== 来歴 ==

=== 選手時代 ===
ユーゴスラビア1部リーグFKブドゥチノスト・ポドゴリツァ(現在はモンテネグロリーグ所属)でストライカーとして頭角を現し、名門レッドスター・ベオグラードに移籍した1992-93シーズンには22ゴールを挙げてユーゴスラビアリーグ得点王を獲得。
1994年からは活躍の舞台を国外に移し、フランス1部リーグSCバスティアへ移籍。ここでも長身を生かしたプレーと柔らかな足技で得点を量産し、当時のユーゴスラビア代表にも招集される。RCランス在籍時の1997-98シーズンにはポストプレーヤーとしてフランスリーグ優勝に大きく貢献した。
1998年、バスティアの監督であったフレデリック・アントネッティからの日本行きの誘いを受けてJリーグガンバ大阪に完全移籍で加入。同年にセリエAカリアリ・カルチョに移籍したパトリック・エムボマの後釜として大いに期待されたが、チームにフィットせず、2シーズンで31試合12得点にとどまり、アントネッティと共に1年で退団。
その後はフランスへ戻り、主に2部リーグでプレーした。現役最後のクラブとなったFCマルティーグではガンバ大阪時代の同僚であるクロード・ダンブリーと再びチームメイトになったりもした。
内戦後は分裂していく祖国の中で旧ユーゴスラビアから、新ユーゴセルビア・モンテネグロモンテネグロと国籍を変えることになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アント・ドロブニャク」の詳細全文を読む



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