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アンドリュー・マカロック(Andrew McCulloch、1945年11月19日 - )は、イギリス出身の元ミュージシャン。元ドラマー。 ==概略== アンドリュー・マカロックは、1945年イギリスのボーンマスにて生まれる。 幼少期を日本の広島他英国外で過ごし、英国帰国後18歳からドラムスをはじめ、ボーンマス出身者のバンド、シャイ・リムスで1968年秋に初レコーディング〔DGM LIVE!ロバート・フリップ日記2014年3月25日付より 〕。翌1969年5月9日レコードデビュー。 1970年、ロバート・フリップ以外の演奏するオリジナルメンバーが脱退したキング・クリムゾンにマイケル・ジャイルズ の後任として、1970年当時邸宅の一室をマカロックに貸していたキース・エマーソンからの紹介で参加。アルバムリザードで演奏。〔『クリムゾン・キングの宮殿 風に語りて』シド・スミス著(ストレンジ・デイズ、2007年7月)〕 奇しくも当時マカロック自身がジャイルズのファンでもあった。〔Fieldsリマスター盤CD収録のグラハム・フィールドによるライナー原文より〕 リザード収録後のライブリハーザル中、ゴードン・ハスケルがロバート・フリップと険悪となり脱退、予定されていたライブ活動が中止になった為マカロックも同時に離脱した。〔『クリムゾン・キングの宮殿 風に語りて』シド・スミス著(ストレンジ・デイズ、2007年7月)〕 マカロックの後任は同じくキース・エマーソン宅に下宿していたイアン・ウォーレスがエマーソンの紹介で就いた。 その後、レア・バードから脱退したグラハム・フィールドをロバート・フリップから紹介され、キーボード・トリオのバンド、フィールズを1971年秋結成。 フィールズ結成に際し、60年代末ルームシェアで同居仲間だったベース/ギター/ヴォーカル担当のアラン・バリーをマカロックからフィールドに紹介した。 フィールズ解散後の1972年秋、ツインキーボードのバンドグリーンスレイド結成に参加。4枚のアルバムを残した。 グリーンスレイド解散後は、ピーター・バンクス、ダンカン・マッケイ、アンソニー・フィリップス等のセッションで演奏したが、程なく音楽業界から去っている。 ''尚、参加作品にはアンドリュー名義以外にアンディ・マカロックAndy McCullochでクレジットされているものもある。'' 現在は英国王立ヨット協会指導者(RYA ヨットマスター)としてロンドンにおいて活動、五輪候補者のコーチングもしており、夏季にはトルコ周辺海域でマカロック・トラベル社観光ヨット船船長も行っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンドリュー・マカロック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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