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アンドレア・バルツァッリ(Andrea Barzagli, 1981年5月8日 - )は、イタリア・フィエーゾレ出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(CB)。セリエA・ユヴェントスFC所属。バルザーリとも表記される。 == 経歴 == === クラブ === ;キャリア初期 17才の時地元セリエC2クラブのロンディネッラでキャリアをスタート。当時はMFとしてプレーした。同チームで経験を積み、2000年よりセリエBのピストイエーゼにてプレーしチームを率いたジュゼッペ・ピッロンに気に入られ、ピッロンがセリエBアスコリ・カルチョを率いる際に引き抜かれる。ここでDFにコンバートされると持ち味の強さと高さを遺憾なく発揮し実績を積んで、2003年にルイジ・デルネーリ率いるセリエAのACキエーヴォ・ヴェローナへと移籍する。ルイジ・サーラからレギュラーを奪い取り、ユヴェントスFCへ移籍したニコラ・レグロッターリエの穴を埋め余りある活躍をして「第2のレグロッターリエ」と呼ばれた。 ;パレルモ 2004年にはUSチッタ・ディ・パレルモへと移籍、31年ぶりにセリエAへ昇格したチームながらも上位躍進するチームの守備の要として急成長し、イタリア代表にも名を連ねるようになった。2007年にはクラブのキャプテンも務めた。 ;ヴォルフスブルク 2008年に故郷フィレンツェのクラブであるフィオレンティーナへと移籍すると思われていたが、パレルモのチームメイトで親友でもある同じDFのクリスティアン・ザッカルドと共に5月28日、ドイツのVfLヴォルフスブルクにDFとしては当時ブンデスリーガ最高額(同時にクラブ最高額)の移籍金1400万ユーロとチーム内トップの年俸400万ユーロで移籍。すぐにディフェンスラインの要となり、1年を通して安定した守備を見せてリーグ戦全34試合にフル出場。移籍1年目にして見事にブンデスリーガ優勝を成し遂げた。しかし、その後は故障や異国でのストレスによるモチベーションの低下もあって出場機会が減少し、2011年1月27日にキエーヴォ時代の恩師デルネーリが監督を務めるユヴェントスへ移籍を決意する。 ;ユヴェントス 2年半ぶりのイタリア復帰となった2010-11シーズンの後半のみで15試合に出場した。デルネーリが退任し、クラブOBのアントニオ・コンテが新監督に就任した翌2011-12シーズンはDFラインの中心として35試合に出場。ユヴェントスの9シーズンぶりのスクデット獲得に大きく貢献した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンドレア・バルツァッリ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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