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アンドレイ・カシェチキン : ウィキペディア日本語版
アンドレイ・カシェチキン

アンドレイ・カシェチキンカザフ語表記:Андрей Кашечкин。ラテン文字翻記:Andrey Kashechkin、1980年3月21日 - )は、カザフスタン自転車競技選手。
== 経歴 ==

カザフスタンクズロルダ出身。
2001年、ドモ・ファルムと契約を結んでプロ転向。
2003年、クイックステップ・ダヴィタモンに移籍。
2004年クレディ・アグリコルに移籍
*グランプリ・ド・フルミー 優勝
2005年ツール・ド・フランスに初出場。新人賞部門で2位に入る(総合19位)。
2006年、同胞のアレクサンドル・ヴィノクロフがリーダーを務める、アスタナに移籍。
*パリ〜ニース 区間1勝(第6)
*国内選手権・個人ロードレースを制覇。
*ブエルタ・ア・エスパーニャではヴィノクロフをアシストしながらも、第18ステージを制し、また総合3位と健闘。
2007年
*ツール・ド・ロマンディ 総合3位
*ドーフィネ・リベレ 総合3位に入り、
*その後ツール・ド・フランスへと挑んだが、エースのヴィノクロフのドーピング発覚騒動が発端となり、選手全員をツールから撤退させるという意向により、第15ステージ終了後に棄権。
*そしてヴィノクロフのドーピング騒動はカシェチキンにも及ぶことになった。同年8月1日、トルコのベレクで行なわれた抜き打ち検査で、血液ドーピングの陽性反応が出る〔カシェチキン陽性 再び窮地に立たされるアスタナ(サイクリングタイム2007年8月9日付記事) 〕。そして同月31日、Bサンプル検査においても陽性反応が出た〔アスタナ Bサンプル検査の結果カシェチキンの解雇を発表(AFPBBニュース2007年9月1日付記事) 〕ことから、チームを解雇された。
2009年、出場停止期間の明けたカシェチキンはレース復帰を目指したが所属チームを見つけることは出来なかった。
2010年7月、ランプレ=ファルネーゼ・ヴィーニ(現 ランプレ・ISD)と契約。
*4年ぶりに出場したブエルタ・ア・エスパーニャでは、総合18位に入った。
2011年8月、シーズン途中で古巣のアスタナに復帰〔アスタナ公式サイトのニュースページ 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンドレイ・カシェチキン」の詳細全文を読む



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