翻訳と辞書
Words near each other
・ アンドレイ・クラフチェンコ
・ アンドレイ・クラマリッチ
・ アンドレイ・クリステア
・ アンドレイ・クリュコフ
・ アンドレイ・クルコフ
・ アンドレイ・クルコフ (フィギュアスケート選手)
・ アンドレイ・クルプスキー
・ アンドレイ・グスタボ・ドス・サントス
・ アンドレイ・グリアゼフ
・ アンドレイ・グリャシキ
アンドレイ・グレチコ
・ アンドレイ・グレボヴィチ
・ アンドレイ・グロムイコ
・ アンドレイ・ココーシン
・ アンドレイ・コズイレフ
・ アンドレイ・コテルニク
・ アンドレイ・コピィロフ
・ アンドレイ・コピロフ
・ アンドレイ・コマツ
・ アンドレイ・コルモゴロフ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アンドレイ・グレチコ : ウィキペディア日本語版
アンドレイ・グレチコ

アンドレイ・アントノヴィチ・グレチコ(、1903年10月4日 - 1976年4月26日)は、ソビエト連邦政治家軍人ブレジネフ時代に国防相を務めた。
== 経歴 ==
ロストフ州クイブイシェフスキー地区ゴロダエフカ村に生まれる。1919年内戦赤軍に入る。1926年、騎兵学校を卒業し、小隊長、中隊長を歴任。1928年ソ連共産党に入党する。1936年、M.V.フルンゼ名称軍事アカデミーを卒業する。1938年10月から特別騎兵師団参謀長となり、1939年の西白ロシア(ポーランド)侵攻に参加。1941年、参謀本部軍事アカデミーを卒業。
第二次世界大戦では、1941年7月から第34騎兵師団長、1942年1月から第5騎兵軍団長、同年3月から南部戦線の作戦軍集団を指揮、4月から第12軍司令官、9月から第47軍司令官、10月から第18軍司令官。第18軍司令官在任時、同軍政治部長であったブレジネフとは戦友であり、その後、第4ウクライナ方面軍でもともに戦う。1943年1月から第56軍司令官、同年10月からヴォロネジ戦線(10月20日から第1ウクライナ戦線)副司令官、12月から第1親衛軍司令官。
終戦後、キエフ軍管区司令官。1953年から1957年まで駐独ソ連軍総司令官。この間1955年ソ連邦元帥となる。1957年11月、国防第一次官兼地上軍総司令官、1960年、国防第一次官兼ワルシャワ条約機構軍総司令官を経て、1967年3月、死去したマリノフスキー国防相の後任となる。1973年4月、ソ連共産党中央委員会総会でアンドレイ・グロムイコ外相とともに政治局員に選出される。軍幹部の政治局入りは、元国防相のゲオルギー・ジューコフ元帥以来のことで、ソ連における軍の台頭として注目された。国防相在職中の1976年4月26日、急死した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンドレイ・グレチコ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.