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アンドレイ・ヴォズネセンスキー(ロシア語:Андре́й Андре́евич Вознесе́нский、ラテン語:Andrei Andreyevich Voznesensky、1933年5月12日 - 2010年6月1日)は、ソ連(現:ロシア)モスクワ出身の詩人、作家。文学活動は1958年〔1960年から詩壇に登場した。〕以降からで、エフゲニー・エフトゥシェンコ、ブラート・オクジャワ、ベーラ・アフマドゥーリナ、ロベルト・ロジェストヴェンスキー(:en:Robert Rozhdestvensky)と並んで雪どけ時代(ソ連の指導者であったヨシフ・スターリン死後、ソ連に於いて顕著になった社会の自由化の雰囲気をいち早く取り入れた時代)を代表する詩人である。 また、ロシアの歌手アーラ・プガチョワの持ち歌〔A・ボズネセンスキー氏死去 ロシアの著名詩人 - 47NEWS、2012年11月14日閲覧。〕『百万本のバラ』のロシア語版を作詞したことで名高い。 詩風は造語、視覚的なイメージを駆使した極めてユニークな世界観である〔ボズネセンスキーとは - コトバンク、2012年11月14日閲覧。〕。 == 生涯 == 1933年5月12日、ソ連(現:ロシア)モスクワにて学者の元に生まれる。 モスクワ建築大学を卒業し、ソ連の詩人であったボリス・パステルナークに師事した。 1958年に作品を執筆するようになり、初期の1960年には詩集『モザイク』『放物線』を刊行した〔ボズネセンスキー - Yahoo!百科事典、日本大百科全書、2012年11月14日閲覧。〕。 1960年に師匠であったパステルナークが亡くなるとヴォズネセンスキーは埋葬地で『ハムレット』の詩を暗唱したとされている。 以後も作品を著し続け、亡くなるまで文学活動に務めていた。 中でも1982年にヴォズネセンスキーの代表作となる『百万本のバラ』を著した。 2010年はじめに脳出血を患っていた〔「百万本のバラ」作詞 ボズネセンスキーさん死去 - 朝日新聞デジタル、2012年11月14日閲覧。〕。 2010年6月1日、モスクワで亡くなる〔ロシアの詩人アンドレイ・ボズネセンスキー氏が死去 - 日本経済新聞、2012年11月14日閲覧。〕。 イギリス出身で20世紀最大の詩人と称されるW・H・オーデンはヴォズネセンスキーを「詩と言うものが言葉による工芸品であり、テーブルやオートバイと同様に熟練した腕でしっかりと組み立てられねばならないことを知っている詩人」と評した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンドレイ・ヴォズネセンスキー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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