翻訳と辞書
Words near each other
・ アンドレ・ウィズダム
・ アンドレ・ウィナー
・ アンドレ・ウィルム
・ アンドレ・ウェニアン
・ アンドレ・ウェニャン
・ アンドレ・ウェニヤン
・ アンドレ・ウォード
・ アンドレ・エッカン
・ アンドレ・エッキング
・ アンドレ・エルネスト・モデスト・グレトリ
アンドレ・エルネスト・モデスト・グレトリー
・ アンドレ・エレル
・ アンドレ・オッセン
・ アンドレ・オフレ
・ アンドレ・オブレヒト
・ アンドレ・オーイェル
・ アンドレ・オーイエル
・ アンドレ・オーイヤー
・ アンドレ・カイヤット
・ アンドレ・カサーニュ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アンドレ・エルネスト・モデスト・グレトリー : ウィキペディア日本語版
アンドレ=エルネスト=モデスト・グレトリ

アンドレ=エルネスト=モデスト・グレトリAndré-Ernest-Modeste Grétry, 1741年2月8日 - 1813年9月24日)は、現在のベルギー出身の作曲家1767年以降はフランスで活動した。
== 生涯 ==

=== 少年期からイタリア時代 ===
グレトリはリエージュ(当時リエージュ司教領)の貧しい音楽家の家に生まれ、サン・ドニ教会で聖歌隊員を務めた。その後はリエージュの教会オルガニストや楽長に師事して鍵盤楽器作曲を学んだ。しかしグレトリにより大きな影響を与えたのは、イタリアオペラ団の公演に出演した際に受けた実践的指導であった。この時に彼はガルッピペルゴレージらのオペラを耳にし、すぐに自分自身の勉強をイタリアで完成させたいという希望を抱いた。そのために必要な資金を稼ぐため、彼は1759年にリエージュ大聖堂の司教たちに献呈するミサ曲を作曲し、ユルレ司教(Canon Hurley)が自腹を切ってくれた資金でグレトリは同年3月にイタリアへ向かった。ローマに着いたグレトリはこの地で5年間を過ごし、ジョヴァンニ・バッティスタ・カザーリに師事して音楽教育を貫徹した。しかしながら彼の和声対位法の面での進歩は、彼自身の信念のゆえに、常にゆっくりとしたものであった。
グレトリの最初の成功は、ローマ・アリベルティ劇場のために作曲され、国際的に賞賛されたイタリア語の幕間劇あるいはオペレッタ作品「ラ・ヴェンデンミアトリーチェ ''La Vendemmiatrice''」によってもたらされた。その後、ローマのフランス大使館の職員がグレトリに貸し与えたモンシニーのオペラ作品の台本を研究したことで、彼はフランスのコミック・オペラに専心しようと決心したと言われている。そして1767年の元日にグレトリはローマを発ち、短期間ジェノヴァに滞在した(この時彼はヴォルテールと知り合い、オペレッタを1作品制作している)後、パリへと移った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンドレ=エルネスト=モデスト・グレトリ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.