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アンドレ・カプレ : ウィキペディア日本語版
アンドレ・カプレ

アンドレ・カプレ(もしくはキャプレ、André Caplet, 1878年11月23日 ル・アーヴル - 1925年4月22日 ヌイイ=シュル=セーヌ)は、フランス作曲家指揮者ドビュッシーの友人で、ドビュッシーの『聖セバスティアンの殉教』と『おもちゃ箱』において作曲者のオーケストレーションを大幅に補筆したことで知られている。また、『月の光』『子供の領分』など、ドビュッシーのピアノ曲をオーケストラ用に編曲した。
カプレ自身も作曲家で、その作品は非常に個性的にもかかわらず、悲しいかなほとんどが見過ごされてきた。1910年から1914年までボストン歌劇場(Boston Opera House)の指揮者をつとめた。第一次世界大戦従軍中に毒ガスを吸って神経を冒され、このために胸膜炎を併発して早世した。
ドビュッシーがグレゴリオ聖歌を研究したように、カプレも中世ポリフォニー音楽を研究し、その痕跡は成熟期の作品においていちじるしく認められる。
==主要作品==

*カンタータ「ミュラ Myrrha」(1901年、ローマ大賞受賞)
*女声と弦楽四重奏のための「七重奏曲」(1909年)
*女声合唱のための「野の墓碑銘 Inscriptions champêtres」(1914年)
*ポーの「赤死病の仮面」によるハープと弦楽四重奏のための「幻想的な物語 Conte Fantatastique」(1919年)
*オルガンと声楽のための「慈しみ深きイエズスよ Pie Jésu」(1919年)
*Messe des petite de St. Eustache-la-Forêt (Messe à 3 voix) サン=テュスタシュ=ラ=フォレの小ミサ(三声のミサ曲)(1922年)
*Le miroir de Jésus - Mystères du Rosaire オラトリオ「イエスの鏡(ロザリオの神秘)」(1923年)
*チェロと管弦楽のためのエチオピア狂詩曲「エピファニー Epiphanie」(1923年)
*ハープのための「2つの嬉遊曲 Deux divertissements」(1924年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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