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アンドレ・ド・ラヴァル : ウィキペディア日本語版 | アンドレ・ド・ラヴァル
アンドレ・ド・ラヴァル=モンモランシー(André de Laval-Montmorency, 1408年 - 1485年)は、百年戦争期にフランスの司令官を務めた軍人。モンジャン、ロエアック、レの領主。ギー13世・ド・ラヴァルとアンヌ・ド・ラヴァルの息子で、兄弟にギー14世・ド・ラヴァルがいる。母方の祖母はベルトラン・デュ・ゲクランと結婚していたジャンヌ・ド・ラヴァル。 == 略歴 == 百年戦争中の1423年、アンドレはイングランド軍に対抗していたフランス軍を助けていたが、1428年にラヴァル家が降伏するとシュルーズベリー伯ジョン・タルボットの手により捕虜となった。2万4千エキュの身代金を支払って解放された後、彼は兄弟のギーやジャンヌ・ダルクと共にオルレアン包囲戦、パテーの戦い、そしてシャルル7世の戴冠式に参加した。1437年にフランス王国海軍提督の称号を得て、1439年にフランス王国軍司令官になった。また、ジル・ド・レの娘マリー・ド・レと結婚し、レの領主権を得る。 1456年の王太子ルイの反乱の時もシャルル7世に忠実に仕え、後にルイがルイ11世として即位した際に司令官職を解雇された。しかし公益同盟戦争の後に司令官職を回復し、パリの政府の上級代理人およびピカルディの知事職を与えられた。後嗣無しに死去した。
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