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アンドレ=ジョルジュ・オドリクール : ウィキペディア日本語版
アンドレ=ジョルジュ・オドリクール
アンドレ=ジョルジュ・オドリクール(、1911年1月17日 - 1996年8月20日)はフランス植物学者人類学者言語学者
== 生涯 ==
アンドレ=ジョルジュ・オドリクールは、ピカルディーの辺境にある農家で育った。幼少期から技術・植物・言語に興味を持った。1928年にバカロレアを得たのち、父の勧めで国立農学院()に入学した。父はオドリクールが政府の高官になることを期待したが、1931年に卒業した時のオドリクールの成績は最低だった。同級生と異なりオドリクールは現代的な機械や技術を推進することには興味がなく、伝統的技術・社会・言語を理解することに興味を持っていた。オドリクールはパリで地理学音声学民族学および遺伝学の講義に出席した。マルセル・モースによって用意された資金により、国立農学院時代にその講義を聞いて大きな興味をもったレニングラードニコライ・ヴァヴィロフのもとで1年間学んだ。
1940年、オドリクールは新設のフランス国立科学研究センター(CNRS)の植物学部門に職を得たが、そこでの研究が静的な分類学に終始し、新しい遺伝学の発達と結びついた進化論的アプローチを使っていないことに幻滅した。第二次世界大戦中、オドリクールはフランス国立東洋言語文化研究所で言語学の広範な書物を読み、アジアの諸言語を研究した。
オドリクールは1945年にCNRSの植物学部門から言語学部門に移った。1947年にロマンス諸語に関する博士論文(アンドレ・マルティネの指導)を提出したが、審査したアルベール・ドーザとマリオ・ロックの2人はこの論文を受理せず、高等研究実習院での職を得ることはかなわなかった〔 (1987), pp. 75-76〕。そのかわり、オドリクールはハノイフランス極東学院で1948年から1949年まで無償で働いた。極東学院でオドリクールはアジア諸言語の歴史音韻論の問題を解決し、言語変化に関する一般的なモデルを構築した。
1976年にオドリクールはCNRS内部に研究センターを共同で設立した。LACITOは民族学と言語学の研究を統合し、文献のほとんどない言語を文化的環境の中において調査することを目的としている〔元LACITOのメンバーによって編集された論文集を参照:〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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