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アンナ・クリスティーネ・ルイーゼ・フォン・プファルツ=ズルツバッハ : ウィキペディア日本語版 | アンナ・クリスティーネ・ルイーゼ・フォン・プファルツ=ズルツバッハ
アンナ・クリスティーネ・ルイーゼ・フォン・プファルツ=ズルツバッハ(Anna Christine Luise von Pfalz-Sulzbach, 1704年2月5日 ズルツバッハ=ローゼンベルク - 1723年3月12日 トリノ王宮、トリノ)は、ドイツのプファルツ=ズルツバッハ家の公女で、サルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ3世の最初の妻。夫の即位以前に死去し、王妃にはならなかった。イタリア語名はアンナ・クリスティーナ・ルイーザ・デル・パラティナート=スルズバック(Anna Cristina Luisa del Palatinato-Sulzbach)。 プファルツ=ズルツバッハ公テオドール・オイスタッハとその妻でヘッセン=ローテンブルク方伯ヴィルヘルム1世の娘であるエレオノーレの間の末娘として生まれた。1722年3月15日にヴェルチェッリにおいて、サルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ2世の次男で世継ぎ息子のピエモンテ公カルロ・エマヌエーレと結婚した。翌1723年3月に長男のヴィットーリオ・アメデーオ(1723年 - 1725年)を出産したが、産後の肥立ちが悪くわずか19歳で急死した。 遺骸はトリノ大聖堂に安置されたのち、スペルガ聖堂に移された。一人息子のヴィットーリオ・アメデーオも2歳で亡くなっている。カルロ・エマヌエーレ3世は1724年、アンナの母方の従妹にあたるヘッセン=ローテンブルク侯女ポリクセナと再婚した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンナ・クリスティーネ・ルイーゼ・フォン・プファルツ=ズルツバッハ」の詳細全文を読む
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