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アンナ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット : ウィキペディア日本語版
アンナ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット

アンナ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット(, 1843年5月25日 ダルムシュタット - 1865年4月16日 シュヴェリーン)は、ドイツヘッセン大公国の大公女で、メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ2世の2番目の妻。全名はマリア・アンナ・ヴィルヘルミーネ・エリーザベト・マティルデ()。
ヘッセン大公ルートヴィヒ2世の次男カールと、その妻でプロイセン王子ヴィルヘルムの娘であるエリーザベトの間の第3子、長女として生まれた。
1864年5月12日にダルムシュタットにおいて、20歳年上のフリードリヒ・フランツ2世と結婚した。フリードリヒ・フランツは1862年に最初の妻のアウグステと死別しており、アンナとは1863年夏に開催されたフランクフルトのドイツ王侯の集い()で知り合った。大公はアンナの信心深さや内気な性格を亡き妻アウグステと重ね合わせ、彼女に求婚した。アンナは結婚と同時に、夫の先妻の産んだ4人の子供たちの継母となった。
結婚の翌年、アンナは第1子を出産した際に産褥熱に罹患し、わずか21歳でこの世を去った。遺骸はシュヴェリーン聖堂()に安置された。フリードリヒ・フランツ2世は1868年、シュヴァルツブルク=ルードルシュタット家の侯女マリーを3度目の妻に迎えた。
== 子女 ==

*アンネ・エリーザベト・アウグステ・アレクサンドリーネ(1865年 - 1882年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンナ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット」の詳細全文を読む



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