翻訳と辞書 |
アンネのバラの教会[あんねのばらのきょうかい]
アンネのバラの教会は、世界で唯一のアンネ・フランクを記念する教会でアンネ・フランク資料館を運営する。オットー・フランクから寄贈されたアンネの貴重な写真類に加え、ほとんど現存してないアンネの遺品を所蔵している。庭にはアンネ像を囲むようにしてアンネのバラが植えられており、西宮市のバラの名所のひとつになっている。〔文章だけではなく番組内容も聞いて出典に用いている。〕〔バラは50株なので品種を問わずに単純に本数だけなら他のバラ園などの方が多いが、教会は一面がアンネのバラで花は色が変化する。〕 == 歴史 == 1971年4月4日に教団の合唱団がイスラエルのネタニヤでオットーと知り合ったことから交流が始まり、出会いを記念してバラの苗が送られてきたことから、アンネを記念した教会を建てようという運動が起きた。この話を聞いたオットーからこのような賛意が寄せられた。
教会はアンネ・フランクの隠れ家の屋根裏をイメージした礼拝堂として設計され、メノーラーはオットーが献納した。建設が始まった時から教会は大きな反響を呼び、朝日、読売、毎日新聞などが一部始終を報道した。彫刻家の本郷寛が制作したアンネのブロンズ像をオットーは「世界に現存するアンネ像の中で、最もアンネの内面性をみごとに表現した傑作である」と称えた。 奇しくも大虐殺を追悼するヨム・ハショアの記念日に挙行された献堂式の朝には国内のテレビ局や新聞に加え、オランダからもテレビ局の取材が入った。その時、91歳だったオットーは出席できなかったが、代理出席者と、隣人への愛、希望、平和への祈りを込めた祝辞を送った。献堂式の4ヶ月後にオットーは死去した〔『アンネ・フランクのバラ』p.56 には「そして、この四か月後の八月十九日、オットーさんは亡きアンネと家族の待つ天国へ旅立たれたのである。」という文面が書かれている。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンネのバラの教会」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|