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アンヘル・ディ・マリア : ウィキペディア日本語版
アンヘル・ディ・マリア

アンヘル・ファビアン・ディ・マリア・エルナンデスÁngel Fabián Di María Hernández, 1988年2月14日 - )は、アルゼンチンサンタフェ州ロサリオ出身のサッカー選手リーグ・アンパリ・サンジェルマンFC所属。アルゼンチン代表。ポジションはフォワードミッドフィールダースペイン語での標準的発音では「ディ・マリーア」に近い。
== 経歴 ==

=== クラブ ===
サンタフェ州ロサリオ労働者階級の人々が住むアルベルディ区に生まれる。幼少の頃から非常に活発な子供で、周囲に多動性障害ではないかと心配され、母マリアーナが小児科医に相談するほどだったという〔「ルーツを訪ねて第60回:幸運を運ぶ本当の天使」 『WORLD SOCCER DIGEST No.278』 第14巻第21号、日本スポーツ企画出版社、2008年、76-78頁。雑誌 29891-11/8〕。4歳で地元のクルブ・トリートというサッカークラブに通い始め〔、14歳でロサリオ・セントラルに入団し〔移籍金として受け取ったのは、サッカーボール40個だった。〕、2005年に17歳でデビュー。当時はサイドバックでプレーしていたが、スピードはあるもののスタミナや対人プレーが弱かったことから大成しない選手とされ、コーチからは「才能がないから他の職業を探した方がいい」と言われた。しかし、2007年にロサリオ・セントラルを率いたカルロス・イスチアによって左ウィングにコンバートされたことにより才能が開花した〔「天才プレイヤーの創り方。」Number 771号、2011年1月27日〕。
2007年7月、ボカ・ジュニアーズとの獲得争いを制したベンフィカシモン・サブローザの代役として移籍した〔Top 10 things you need to know about Real Madrid's new Argentine magician Angel Di Maria mirrorfootball.co.uk、2009年10月28日〕。初参加となったUEFAチャンピオンズリーグではグループリーグ6試合全てに出場した。
2010年6月28日、移籍金2500万ユーロの6年契約でレアル・マドリードに移籍した〔レアル・マドリー、ディ・マリア獲得を発表 Goal.com、2010年5月20日〕。クラブ・アメリカとの親善試合でデビューし、RCDマヨルカとのリーグ初戦にもスターティングメンバーに選ばれた。ソシエダ戦ではリーグ初ゴールを記録。その後もコンスタントにプレーし、ディ・マリアのアンヘル(Ángel)というファーストネームから、移籍したラウル・ゴンサレスに代わる『マドリーの新たな天使』というニックネームを授かった〔。しかし、リーグカップUEFAチャンピオンズリーグと3つの大会を戦うという過密日程から「疲れた」と心情を吐露した〔【サッカー】R・マドリー、ハードスケジュールで疲労困憊 searchina.ne.jp、2011年2月5日〕。
チャンピオンズリーグベスト8でのトッテナム・ホットスパーFC戦1stレグで挙げた3点目は、相手監督のハリー・レドナップから「3点目のようなプレーを見せられてはお手上げだ。あのゴールは本当に素晴らしかった」と賞賛された〔トッテナムのレドナップ監督「クラウチのプレーには失望した」 スポーツナビ、2011年4月6日〕。FCバルセロナとのコパ・デル・レイ決勝は、延長前半に左サイドのクロスからクリスティアーノ・ロナウドの決勝点を演出した。
2013年にレアル・マドリードがガレス・ベイル獲得に動いていたことにより同じポジションであるディ・マリアが移籍すると見られていたが〔レアル MFベイル加入もエジルを放出 デイリーオンライン、2013年9月2日〕、新監督のカルロ・アンチェロッティ曰く、「チームのバランスのための技術的な決断」で移籍市場最終日にメスト・エジルの移籍が決定したことにより、ディ・マリアは残留となった〔アンチェロッティ:「エジルよりディ・マリアを選んだ」 Goal.com、2013年10月25日〕。開幕当初は出場機会が減ったものの〔ディ・マリア、ベイル加入でレアルから移籍? プレミアかフランスが新天地か livedoor.com、2013年12月25日〕、セントラルMFとしてプレーすることにより出場機会を増やした。
2014年夏にレアル・マドリードがハメス・ロドリゲストニ・クロースらを獲得した事により移籍を志願、8月26日にマンチェスター・ユナイテッドFCプレミアリーグ史上最高額の5970万ポンドで移籍〔2010-11シーズンにリバプールフェルナンド・トーレスチェルシーに移籍した際の5000万ポンドがそれまでのプレミアリーグ史上最高額である。〕、伝統の背番号である7を背負うこととなった。QPR戦でリーグ初ゴールを記録した。だが2014-15シーズンはリーグ戦27試合に出場。10アシストを記録するも、3得点に留まった。
2015年8月6日、フランスのパリ・サンジェルマンFCへ移籍することをクラブ公式Twitter上で発表した〔ディ・マリアのPSG移籍が決定…プレミア最高額で獲得も1年でマンU退団 soccerking 2015年8月6日〕。契約は2019年6月30日までの4年間で、背番号は『11番』である。これによりマンチェスター・ユナイテッドFCプレミアリーグ史上最高額で移籍も1年で退団することになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンヘル・ディ・マリア」の詳細全文を読む



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