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アン・ヘニング
アン・エリザベス・ヘニング(Anne Elizabeth Henning、ノースカロライナ州ローリー出身、1955年9月6日 - )はアメリカ合衆国の元スピードスケート選手。 ==来歴== アン・ヘニングはイリノイ州ノースブルックで育った。スピードスケート競技はショートトラックスピードスケートから始めたが、後に多くのショートトラック選手同様にロングトラックに転向した。1971年、15歳のヘニングはISUスプリント選手権大会(世界スプリントスピードスケート選手権大会の前身)で銀メダルを獲得した。この大会中にヘニングは500mの世界記録を2度更新した。 1972年に500mと1000mで世界記録を更新していたヘニングは、同年札幌で開催された冬季オリンピックにおいて、この2つの距離の優勝候補であった。500mではシルヴィア・バーカ(カナダ)と並走した際、アウトスタートのヘニングとインスタートのバーカの前半のスピード差がありすぎ、中間の交差地点で早くもバーカと並んでしまった。これに気付いていなかったバーカと交差する時に進路を妨げられる形となり一瞬棒立ちになったが、それでも43秒70のタイムを記録し当時のオリンピック記録を塗り替えた。(バーカは走路妨害で失格)ルールに従い再滑走が認められたヘニングは、タイムの出にくい単独スケーティングであったが、43秒33と更にタイムを縮めた。これによりヘニングは16歳というオリンピックのスピードスケート史上、最年少の金メダリストとなった。意外な伏兵のモニカ・プルーク(西ドイツ)が制した1000mでは、ヘニングは銀メダルのアチェ・ケレン=デルストラ(オランダ)にわずか0.01秒及ばず銅メダリストとなった。このシーズンの後、ヘニングは16歳という若さでスピードスケート競技から引退した。 2009年2月現在、彼女はコロラド州イングルウッドで教師をしている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アン・ヘニング」の詳細全文を読む
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