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アヴィグドール・リーベルマン(Avigdor Lieberman、ヘブライ語:אביגדור ליברמן、)、生名:イヴェト・リーベルマン(Evet Lvovich Lieberman、ロシア語:Эве́т Льво́вич Ли́берман) は、モルドバ出身のイスラエルの政治家。イスラエル国外務大臣を務めるも、2012年12月に辞任(後述)したが、翌年11月外相に復帰した。ロシア系ユダヤ人。イスラエル国会議員で当選4回。極右政党「イスラエル我が家」の現党首。カタカナ表記は「リーバーマン」とも。 == 来歴 == 1958年6月5日、ソビエト連邦・モルダビア・ソビエト社会主義共和国(現モルドヴァ)のキシニョフに生まれる。若い頃はキシニョフのナイトクラブで用心棒をしていた。 1978年、20歳の時にイスラエルに移住し、ヘブライ大学で政治学、国際関係学を学び、卒業する。青年時にはラビ・メイル・カハネに傾倒していた。その後、ベンヤミン・ネタニヤフ政権下で内閣の事務局長を務めたが、連立政権に不満を持ち辞職した。 1999年に、旧ソ連・東欧からの帰還者が中心となりイスラエル我が家を創設し、同年の総選挙でクネセト議員に初当選する。2001年に発足した、アリエル・シャロン政権下では、国家基盤相として初入閣するが、翌年3月にヤーセル・アラファト議長に対する姿勢が弱腰だとして政権を離脱。2003年のシャロン政権2期目にも運輸相として入閣を果たすが、同政権が目指したガザからの全面撤退を目指したガザ地区撤退計画に反対したことで解任される(正確には、同計画の閣議決定直前に、国家統一党のベニー・エロン観光相と共に解任される。イスラエルの閣議決定は日本とは異なり多数決で決定される為、反対が確実視されていた2名をシャロンが先手を打って解任した)。 2013年1月に行われる予定の総選挙でイスラエル我が家は、リクードと統一会派を組み、選挙に臨むこととなった。また、リクード党首であり、現イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフと、総選挙後にネタニヤフが3年首相を務めたのちに、首相の座をリーベルマンに譲る約束も取り交わした。これにより、特に問題が発生しなければ、2016年にリーベルマンはイスラエル首相になる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アヴィグドール・リーベルマン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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