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アーウィン・アレン(Irwin Allen、1916年6月12日 - 1991年11月2日)は、アメリカ合衆国の映画プロデューサー・映画監督。 == 概要 == コロンビア大学、ニューヨーク市立大学に学ぶ。当初はジャーナリスト。その後、ラジオ番組のプロデューサーからテレビ界へと転進。TVのSF番組として知られる『宇宙家族ロビンソン』(1965年 - 1968年)、『タイムトンネル』(1966年 - 1967年)、『原子力潜水艦シービュー号』(1964年 - 1968年)のヒットにより映画の仕事も手がけるようになる。 代表的な映画に『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)、『タワーリング・インフェルノ』(1974年)がある。この2作品は大ヒットとなり、パニック映画ブームのきっかけともなった。 『スウォーム』(1978年)、『ポセイドン・アドベンチャー2』(1979年)では自ら監督を務める。しかしこの2作品は興行的には振るわなかった。 1952年にはドキュメンタリー映画"The Sea Around Us"でアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞してもいる。「パニック映画の巨匠 (Master of Disaster) 〔」と呼ばれるほど、この分野の映画史上の傑作の多くにかかわっている。 巨匠と呼ばれるまでの地位を築いたアレンだが、最後の作品となる『世界崩壊の序曲』(1980年)では「タワーリング・インフェルノ」の脚本家スターリング・シリファントを3作ぶりに起用、充実したスタッフ、そしてポール・ニューマン、ウィリアム・ホールデン、アーネスト・ボーグナイン、レッド・バトンズ、ベロニカ・ハメルなど、かつてアレン作品に出演経験のあるキャストを結集し、2000万ドルの予算をかけ製作。しかし興行収入は170万ドルという惨憺たる結果になり、映画制作から撤退を余儀なくされた(失敗の原因は世界崩壊の序曲の項が詳しい)。 サンタモニカにて心臓発作のため死去〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アーウィン・アレン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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