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アーサー・ウィリアム・ワーマス・ジュニア(Arthur William Wermuth, Jr., 1915年 - 1981年)は、アメリカ合衆国の軍人。アメリカ陸軍の将校として第二次世界大戦に従軍し、「バターンのワンマン・アーミー」(One-Man Army of Bataan)の異名で知られた。また、1942年4月から1945年8月までは捕虜として収容されていた。 ==経歴== 1915年、医師で第一次世界大戦への従軍経験があった父と母クレア・ナタリー・ローレンツ(Clara Natalie Lorenz)の息子としてサウスダコタ州で生を受けた。姉のナタリー(Natalie)はプロのダンサーで、1940年代にはタリア(Talia)の芸名でシカゴを中心に活動していた〔"Widow Finds Secret of Peace in Small Town in Black Hills," Hal Boyle, ''Post-Tribune'', Jefferson City, Missouri, August 5, 1954. p. 6.〕。 ワーマスは少年期をシカゴのレイク・ビュー近くの家で過ごした〔Southport Neighborhood Association, Chicago. September 2002 Newsletter .〕。また、第二次世界大戦頃にはミシガン州トラバースシティに暮らしていた。 1932年、ワーマスはを卒業した〔SJNMA Alumni list .〕。青年期の彼はスポーツ好きで、ボート競技、フットボール、陸上競技、野球など、様々な競技に参加していた。この頃はチームメートから、サッチ(Satch)というあだ名で呼ばれていた。フットボールチームではガードやタックルのポジションを務めたほか、野球では外野手を務め、打率は.299だった。陸上選手としては砲丸投や円盤投に参加していた。卒業アルバムではスポーツ選手としてのワーマスについて、「守備の時、彼は誰も通さないハードな男だった。攻撃の時、多くの得点が彼が開いた穴によって得られた」("Defensively, he was a hard man to get through. Offensively, many gains were made through holes he opened.")と紹介している〔'Art Wermuth, "One-Man Army of Bataan", Was Known As "Just a Regular Guy" During School,' Burton Benjamin, ''Ironwood Daily Globe'', Ironwood, Michigan. February 25, 1942. p. 8.〕。 その後、では予備役将校訓練課程に参加し、また微生物学の学士号を得ている〔"War Hero Maintains Order as Sheriff," Harold Ellithorpe, ''Anderson Daily Bulletin'', Anderson, Indiana, October 3, 1957. p. 11.〕。1935年6月1日、シカゴにてジェーン・ウィルキンス(Jean Wilkins)と結婚。彼らの婚姻関係は1947年の離婚まで続いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アーサー・ワーマス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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