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アーチン・パンジャパン : ウィキペディア日本語版
アーチン・パンジャパン

アーチン・パンジャパン(,1927年10月11日- )はタイ王国小説家。タイの日刊紙であるマティチョン()とクルンテープ・トゥラギット()のコラムニストでもあった。1991年に日本での人間国宝に相当する文学部門におけるタイ王国国家芸術家()の指定を受ける。
==略歴==
1927年10月11日 ナコーンパトム県バーンレーン郡で、父クン・パンジャパン・ピブーン(マーティン ティニット)、母グラセー・パンジャナパン(旧姓:ゴーマーンタット)の子として生まれた。父のクン・パンジャナパン・ピブーンは、カンチャナブリー県ターマカー郡の郡長、さらにプラチュワップキーリーカン県知事、ナコーンパトム県知事を務めた。兄弟姉妹には、姉に同じく作家のチャウム・パンジャパン()、ラッダー・パンジャパン警察中将、パタナー・パンジャパンがいる。
アーチンは、プラパトム・ウィタヤライ校の初等課程を卒業すると、アムヌワイシン校で中等課程を修了。さらに大学予備科に入学し、チュラロンコーン大学工学部に進学する。しかし、アーチンの大学2年時に第二次世界大戦が勃発したため、大学の授業は中止された。大学のあったバンコクは当時重要な戦略拠点として攻撃の対象にされていたため、学生たちは故郷への疎開を余儀なくされた。戦争が終結するとアーチンは学校に戻ったが、疎開生活のなかでもはや勉学を続ける気がそがれ、大学を中退。父親はアーチンをしつけるためとしてパンガー県鉱山に送り、仕事に就かせた。その鉱山でアーチンは代表作となる鉱山短編連作()に描かれている体験をすることになった。1968年から1988年まで、週刊文芸誌『ファー・ムアン・タイ』(()の編集長を務めた。現在、妻と二人で暮らしており、子供はいない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アーチン・パンジャパン」の詳細全文を読む



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