|
アーチー・クラーク(Archie Clark、1941年7月15日 - )はアメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAで活躍した元バスケットボール選手。アーカンソー州コンウェイ出身。 コンウェイで生まれたクラークはデトロイトの郊外で育ち、高校卒業後はアメリカ陸軍に入隊。アンドリュース空軍基地のバスケットチームでプレイしていたところをスカウトの目に留まり、奨学金を得てミネソタ大学に進学した。 大学卒業後、1966年のNBAドラフトで37位指名を受けてロサンゼルス・レイカーズに入団。クラークのNBAでの活動期間は1966-67シーズンから1975-76シーズンまでの10シーズンに及び、得点力のあるガードとして計5チームを渡り歩いた。 ドラフトでの評価は低かったが、レイカーズではルーキーイヤーからローテーション入りを果たし、2年目には19.9得点4.4アシストまで成績を伸ばした。この年にはオールスターにも初選出され、NBAファイナルの舞台も経験している。 1968-69シーズンにはウィルト・チェンバレン獲得のためのトレードに組み込まれ、フィラデルフィア・76ersに移籍。移籍3年目となる1970-71シーズンに選手キャリアの全盛期を迎え、21.3得点5.4アシストを記録し、オールNBA2ndチームに初選出される。さらに翌1971-72シーズンには29.0得点7.0アシストと個人としては目覚しい活躍を見せるが、チェンバレン放出後成績が下降線の一途を辿る76ersは、チーム改革を進めるために好調のクラークをシーズン中にボルティモア・ブレッツにトレードに出した。このシーズンのクラークはキャリアハイとなる25.2得点8.0アシストだった。 その後のクラークはさらにシアトル・スーパーソニックス、デトロイト・ピストンズを渡り歩き、1976年に現役から引退した。NBA通算成績は10シーズン725試合の出場で、11,819得点3,498アシスト、16.3得点4.8アシストだった。 引退後、1987年のエコーズ市の市長選に立候補したが落選した。1992年にはデイブ・ディバッシャー、デイブ・ビン、デイブ・コーウェンス、オスカー・ロバートソンらと共にNBRPA(National Basketball Retired Players Association:全米バスケットボール退職者協会)を創設している。 == 外部リンク == * Basketball-Reference.com * NBA.com info 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アーチー・クラーク」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|