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アーネスト・ホースト : ウィキペディア日本語版
アーネスト・ホースト

アーネスト・ホースト(、男性、1965年7月11日 – )は、現在のスリナム出身、オランダ国籍のキックボクサーである。所属はボスジム
K-1 GRAND PRIX ’97、’99、K-1 WORLD GP 2000、2002王者で、セーム・シュルトと並ぶ4度の最多優勝記録、また、ピーター・アーツに次ぐ5度のファイナル出場記録を持つ。(アーツは6度)さらに、軽重量級トーナメントであるK-2 GRAND PRIXの初代にして最後の王者でもあり、K-1の主催した大会での最多優勝回数を記録している。K-1初期からのライバルであったアンディ・フグ、アーツ、マイク・ベルナルドとは「K-1四天王」〔ピーター・アーツ引退試合で感じたK-1時代の完全なる終焉 2013年12月26日〕として並び称され、突出した技術の高さから、ミスター・パーフェクトと呼ばれる。また、勝利後には「ホースト・ダンス」と呼ばれるダンスを披露する。
== 来歴 ==
1965年7月11日、オランダ領ギアナ(現在のスリナム共和国)で生まれる。
1970年オランダに移住。
1983年12月、初めて選手としてリングにあがる。肘なしムエタイルールで Wim Scharren Berg を2RKOで倒し、初戦を勝利で飾った。
1987年10月、オランダのアムステルダムで行われたMTBNオランダタイトルマッチに出場。Kenneth Plak と対戦。1Rにダウンを奪い、判定勝ちし王座を獲得した。
1988年5月、オランダのアーネムで行われたMTBNヨーロッパタイトルマッチに出場。Francois Corremans(ベルギー)を判定で退け王座を獲得。6月、フルコンタクトヨーロッパ選手権大会(ISKA主催)優勝。6月、フランスのストラスブールで行われたヨーロッパサバット選手権大会コンバ部門ミドル級に出場。Sylvain Postel(フランス)を5RKOで下し優勝。9月、キックボクシングヨーロッパ選手権大会(WKA主催)優勝。
1989年5月、フランスパリで開催された第1回世界サバット選手権大会コンバ部門に出場。Francis Dauvin(ベルギー)を3RKOで下し優勝。これが初の世界タイトルとなった。この試合の写真は、オランダの武道雑誌ゼンドーカン誌の表紙を飾った。10月、ムエタイ世界選手権大会優勝。
1990年1月、キックボクシング世界選手権大会(WKA主催)優勝。11月8日にロブ・カーマンと再戦。前回の試合では判定負けしていたが、今回も5RKOで敗北した。しかし本人によればKO直前に急所をフックで打ったからだと主張している。
1992年、フランスで行われたISKAフルコンタクト世界ライトヘビー級タイトルマッチでリック・ルーファス(王者/アメリカ)と対戦。ローキックが使えないというルールに慣れず、ルーファスのフットワークについていけなかったことで12R判定負けを喫した。
1993年4月30日、K-1初興行「K-1 GRAND PRIX ’93」に出場。1回戦でピーター・アーツに判定勝ち、準決勝でモーリス・スミスに左ハイキックで失神KO勝ちするも、決勝でブランコ・シカティックに右ストレートでKO負け。準優勝に終わった。
1993年12月19日、両国国技館で行われた「K-2 GRAND PRIX ’93」に出場。1回戦でマンソン・ギブソンに延長R判定勝ち。続く準決勝でアダム・ワットに1R右ハイキックでKO勝ち。決勝はチャンプア・ゲッソンリットに4R右ハイキックでKO勝ちし、優勝を果たした。
1994年5月8日、オランダのアムステルダムで行われた「K-2 PLUS TOURNAMENT」に出場。決勝戦でボブ・シュライバーを1RKOで破り優勝。
1994年11月、ISKAフルコンタクト世界ライトヘビー級タイトルマッチ(2分12R)で、リック・ルーファス(王者/アメリカ)と再戦。9Rにパンチでスタンディングダウンを奪うと、11Rに右ハイキックでKO勝ちした。負けたルーファスは失神してしばらく立ち上がれないほどダメージを負っており、酸素マスクが必要なほどだった。
1994年12月10日、「K-1 LEGEND 〜乱〜」でシカティックと再戦するも、2Rに右ストレートでKO負け。
1997年11月9日、K-1 GRAND PRIX ’97 優勝。K-1初優勝を果たした。
1999年12月5日、K-1 GRAND PRIX ’99 優勝。2度目のK-1優勝。
2000年12月10日、K-1 WORLD GP 2000 優勝。3度目のK-1優勝。
2002年10月5日、K-1 WORLD GP 2002 開幕戦でボブ・サップに敗北したが、セーム・シュルトの欠場により決勝大会のトーナメントに出場。準々決勝でサップと再戦。ダウンを奪うもダウンを奪い返されKO負け。勝利したサップの右拳中指骨骨折により準決勝に進みレイ・セフォーと対戦。ローキックを蹴ったセフォーが準々決勝のダメージにより自ら負傷してKO勝ち、決勝でもジェロム・レ・バンナにKO勝ちし、4度目のK-1優勝を果たした。
2003年1月19日、プロレス興行「ファンタジーファイトWRESTLE-1」にアーネスト・“ビースト”として出場し、因縁のサップとプロレスルールにより再戦。白のガウン、黒のロングタイツといったコスチュームで戦い、STF卍固め、パイプイス攻撃などを繰り出し、最後はスクールボーイ(横入りエビ固め)で3カウントを奪った。
2004年12月4日、K-1 WORLD GP 2004 決勝戦に出場。1回戦で前大会王者のレミー・ボンヤスキーに判定負けするも、不可解な判定に怒りを露わにした。ボタとそのトレーナーのスティーブ・カラコダはホーストとレミーの試合を控え室で見ていて、レミーが判定で勝った時には驚いていた。
2005年9月23日、K-1 WORLD GP 2005 開幕戦は持病のアトピー性皮膚炎と膝の怪我で欠場。その大会中に今後はワンマッチのみを行い、1日に数試合戦わなければならない過酷なグランプリには出場しないと宣言し、その後2006年中に引退試合を行う予定だった。
2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!で11月19日にK-1王者になったばかりのセーム・シュルトとの新旧王者対決を行った。1Rにシュルトの長いリーチから繰り出す膝蹴りを受けてしまいダウンを奪われるとその際に左目尻をカットしてしまい出血。ドクターチェックを受けるが、傷口の深さと位置の関係から試合続行不可能と判断されドクターストップ。無念のTKO負けを喫した。試合後のインタビューでシュルトは、「『ホーストが今年シュルトがGPで優勝すると思ってなかった、と語った』と地元の記事に書かれていたから少しカンに障ったんだ。もうホーストは試合に出ることを考え直した方がいいんじゃないかな。」と語った。それをインタビュアーから聞かされたホーストは、「続けるかどうかはシュルトではなく、自分が決めることだ。今日の試合は負けたとは思っていない。たまたまヒザを受けてそれがケガになって終わっただけだ。シュルトが何かを言うべきではないよ。」と怒りをあらわにした。
2006年5月13日、K-1 WORLD GP 2006 in AMSTERDAMにおいてオランダでの引退試合を行う。だが、対戦予定だったボブ・サップが契約問題のこじれから試合直前になって試合をボイコットしてしまったため、地元テレビの解説として来場していたピーター・アーツとの対戦に急遽変更になり、判定勝ち。
2006年7月30日、K-1 WORLD GP 2006 札幌大会での発表で、「9月に行われるグランプリ開幕戦を経て12月2日のグランプリ決勝大会で優勝し、ファイブ・タイムス・チャンピオンになった上での現役引退を目指す。」と、このGPが最後の戦いとなることを宣言した。GP優勝した場合は引退となるが、同時にGPで誰かに敗れた時点で即引退すると語った。この発表を行った際には、「いつかは終わりが来るものなので、これが最後だから寂しいという気持ちはない。それよりも仲間達とこの場に居られることが満足だよ。K-1はこの大会が終わっても先に進むが、自分は先には進めないかも知れないが・・、22年間ファイターとして闘ってこられたことは満足している。」と語った。
そして、2006年12月2日、K-1 WORLD GP 2006 決勝戦に出場。1回戦では、ハリッド"ディ・ファウスト"と対戦。小柄でスピードがありパンチが得意なハリッドに対して、リーチの差や的確なタイミングのローキックを活かし、延長1R判定勝利。準決勝では2005年末に敗れたセーム・シュルトと3度目の対戦。今度は3ラウンド戦い抜いたものの、シュルトに有効な攻撃を与えることができずに判定負け。試合後には涙を流して挨拶をすると、大きな声援と拍手の中、リングを降りた。この試合でホーストは一旦現役を引退した。
2008年2月23日、北アイルランドのベルファストで開かれたWKNの興行で、WKNアワードという賞を授与された。
現在は選手を自らのジムで育成しており、日本では名古屋に支部を持っている。
2012年度の東京マラソンに出場、完走を果たした。
2012年5月20日 自らの冠を付けたプロ大会ホーストカップ2012~Departure~のエグゼクティブプロデューサーを務め初の大会としては満員御礼を出し成功を収めた。
2014年3月23日のHoostCup LEGENDで約8年ぶりに現役復帰。トーマス・スタンレーから二度のダウンを奪い判定勝ちを収めた。
2014年10月19日にピーター・アーツとWKO世界ヘビー級王座をかけて対戦し、判定勝ちで王座を獲得した。この試合がホーストのキャリア100勝目となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アーネスト・ホースト」の詳細全文を読む



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