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アームド (') とは、1940年代に活躍したアメリカ合衆国の競走馬である。せん馬であったため、長い期間走り続け、多くの名馬と対戦し、自身も41勝もの勝ち星をあげた。20世紀のアメリカ名馬100選では第39位に選出されている。) とは、1940年代に活躍したアメリカ合衆国の競走馬である。せん馬であったため、長い期間走り続け、多くの名馬と対戦し、自身も41勝もの勝ち星をあげた。20世紀のアメリカ名馬100選では第39位に選出されている。 == 戦績 == アームドは気性が悪かったために2歳の3月に去勢され、デビューは3歳になってからであった。2月終わりのデビュー戦を8馬身差で圧勝したが、4戦目のレナートハンデキャップではトワイライトティアーに完敗し、クラシックからは遠のいてしまう。結局3歳時のアームドは7戦3勝でステークス勝ちはなく、平凡な馬であった。 だが4歳になってベン・ジョーンズ厩舎から息子のジミー・ジョーンズ厩舎へ転厩すると、アームドの快進撃が始まる。初戦こそ5着に敗れたものの、その後6連勝。シカゴハンデキャップで連勝は止まり、ワシントンパークハンデキャップではブッシャーに敗れるものの、10月のワシントンハンデキャップから再び連勝を開始し、ピムリコスペシャルステークスでは同じく遅れてきた名馬スタイミーや、ブッシャーに次ぐ実力の3歳牝馬ギャロレットを一蹴し、最強馬の座へと躍り出た。 5歳になってもアームドの快進撃は続く。前年6月から続けていた連対を22まで伸ばしたのである。ほとんどのレースで130ポンド(約59キログラム)余りのハンデを課せられながらこの記録は驚異的と言える。5月のサバーバンハンデキャップでは、スタイミー、ポリネシアンの古馬3強が一堂に会するが、結果はアームドの快勝で、都合三度対戦したスタイミーには、遂に一度も先着を許さなかった。 6歳になったアームドは、円熟期を迎える。ワイドナーハンデキャップ、ガルフストリームハンデキャップ、スターズ&ストライプスハンデキャップ、ワーラウェイステークスで4度のレコード勝ちを収める。そして9月。ベルモントパーク競馬場で、2歳年下の三冠馬、アソールトとのマッチレースに臨んだ。アソールトは既にスタイミーを何度も下しており、多くの注目が集まった一戦だったが、蓋を開けてみればアームドの8馬身差圧勝で、このレースが決め手となってアームドは年度代表馬に選出された。アームドにとって最高のレースとなったが、反動も大きかったのか、このレースを境に勢いが落ちていく。 7歳初戦を勝利したアームドは、2月の一般戦でサイテーションと対峙する。ところが精彩を欠き、約3年ぶりに掲示板を外す6着に敗れてしまう。次走のセミノールハンデキャップでも対戦するが雪辱はかなわず、更にこの後故障を発生して一年余りの休養を余儀なくされる。復帰後アームドは9歳まで走り5勝を挙げるが、ステークスレースを勝つことはできなかった。だが、引退レースとなった一般戦はレコードで勝利し、最後の勇姿を見せた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アームド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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