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アーロン・レイン・クック(Aaron Lane Cook, 1979年2月8日 - )は、アメリカ合衆国のケンタッキー州出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 == 略歴 == === ロッキーズ時代 === にドラフト2巡目でコロラド・ロッキーズから指名を受け、7月13日に契約。 8月9日にメジャー初昇格を果たし、8月10日のシカゴ・カブス戦でメジャーデビュー。13点ビハインドの6回表から登板し、2回を投げ本塁打を含む2安打1失点だった。この年は先発での登板も含めて9試合に登板。防御率4.54、2勝1敗という成績を記録した。 は開幕から先発ローテーションに入って投げていたが、成績が振るわなかった為、6月16日にAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスへ降格となった。AAA級では2試合に登板し、1勝1敗、防御率2.25だった。7月4日にメジャー昇格となったが、その後も不安定な投球が続き、防御率は6.02という数値になってしまった。 も開幕から先発ローテーション入り。防御率も4.00台をキープしていた。しかし、8月7日のシンシナティ・レッズ戦で、3回に目眩を起こし、降板。病院で検査を受けた結果、両方の肺に血栓がある事が分かり、手術を受ける事になった。8月8日に15日間の故障者リスト入りし、残りのシーズンを欠場した。10月4日に故障者リストから外れた。 3月30日に再び15日間の故障者リスト入りした。7月30日に復帰。13試合の先発登板で7勝2敗、防御率3.67という成績を記録。逆境を乗り越えて復活した選手に贈られるトニー・コニグリアロ賞を受賞した。 1月13日に球団と年俸調停を避け、総額455万ドル(2008年の球団オプション付き)の2年契約を結んだ。今まで、不安定な投球や故障などでシーズン途中での離脱を余儀なくされていたクックだったが、2006年は年間通じて先発ローテーションを守り登板。規定投球回にも達し、防御率4.23を記録した。しかし、QSを18(リーグ10位タイ)を記録したが、リリーフ陣が打たれ、得点の援護に恵まれず9勝(リーグ29位タイ)に終わった。 は8月16日に脇腹の斜筋を痛め、15日間の故障者リスト入りし、そのままレギュラーシーズンを終え、8勝にとどまった。9月16日に60日間の故障者リストへ異動し、10月1日にリストから外れた。10月23日にプレーオフロースターに加わり、球団史上初となったワールドシリーズで3連敗で迎えた第4戦を志願して登板。6回3失点に抑えQSを記録したが、負け投手となりボストン・レッドソックスがワールドチャンピオンとなった。オフの10月31日に2年契約を満了したクックに対し、球団は450万ドルのオプションを行使し、2009年から新たに3年総額3,000万ドル(4年目は球団オプション)で契約延長した。 は6月15日に初のシーズン10勝を達成し、7月1日のパドレス戦では79球でメジャー初完封を達成。また、試合時間はクアーズ・フィールドで行われた試合として最短記録の1時間58分だった〔出野哲也 「MLB30球団レポート&全選手シーズン最終成績 コロラド・ロッキーズ/COL 徹底してゴロを打たせ、2時間未満の完封も」『月刊スラッガー』2008年12月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌 15509-11、72項。〕。オールスターにも選出され、3回を無失点に抑えた。9月以降は1勝もできなかったが、球団記録の17勝に次ぐ16勝を挙げた〔。 も2年連続二桁勝利となる11勝を挙げたが、その後は成績が低下。8月22日に右肩を痛め、残りの試合を欠場した。 8月5日に右足の親指の故障で15日間の故障者リスト入りした。9月3日に復帰したが、9月9日に右脚の骨折で残りの試合を欠場した。 3月31日に指の負傷で15日間の故障者リスト入りし、4月14日に60日間の故障者リストへ異動。6月8日に復帰した。シーズン終了後の10月30日にFAとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アーロン・クック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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