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イアン・ペイス(Ian Paice, 本名 Ian Anderson Paice, 1948年6月29日 - )は、イングランド ノッティンガム出身のロック・ドラマー。世界的な人気を誇るイギリスのハードロック・バンド、ディープ・パープルのメンバー〔レコード・デビュー以降の全活動期間に在籍し、ディープ・パープル名義の楽曲、アルバムのすべてにクレジットされている唯一の人物である〕。他にも数多くのバンドで演奏し、1960年代から現在までハードロック・シーンの第一線で活躍を続ける業界の第一人者のひとりである。身長170cm。 == キャリア == 両親は、音楽に造詣が深く、特に父親が舞踊音楽家であった関係で彼は、少年時代から音楽に強い関心を示していた。ポップスに興味を持ち始めた16歳の時に、初めて父親からドラムセットをプレゼントしてもらう。彼は、現在において第一線のプロには数少ない左利きのドラマーである。1950年代終盤から父の舞踏楽団の一員として活動する。17歳の時、初めてプロとして加入したバンド、シンディグスでレコード・デビュー。 1964年、ロッド・エヴァンスがボーカルを務めるMI5(後にザ・メイズ)に加入。1968年にはエヴァンスと共にラウンドアバウト(ディープ・パープルの母体となったバンド)の立ち上げに参加。1968年5月、ディープ・パープルとしてアルバム『ハッシュ』(''Shades Of Deep Purple'')をリリースする。以降、ディープ・パープルはメンバー・チェンジを繰り返しながらブリティッシュ・ハードロックの超人気グループとして世界的な人気を博す。ペイスは1976年のグループ解散までの全てのアルバムに参加し、ジョン・ボーナム、カーマイン・アピスらと並ぶ、ハードロック界を代表するドラマーとして世界的な地位を築く(「ディープ・パープル」の項も参照)。 1976年のディープ・パープル解散後、ジョン・ロード、トニー・アシュトンと共に、ペイス・アシュトン&ロードを結成するが、アルバム1枚と5回のライブのみで解散。 1979年、デイヴィッド・カヴァデールに乞われてホワイトスネイクに加入。アルバム『フール・フォー・ユア・ラヴィング』(''Ready an' Willing'' (1980)、『ライヴ・・・イン・ザ・ハート・オブ・ザ・シティ 』(''Live...in the Heart of the City) (1980)、『カム・アンド・ゲット・イット』(''Come an' Get It) (1981)、『セインツ・アンド・シナーズ』(''Saints & Sinners'') (1982) に参加した。 1982年、音楽性の違いとツアーの疲れからホワイトスネイクを脱退。同年ゲイリー・ムーア・バンドに加入。アルバム『コリドーズ・オブ・パワー (''Corridors of Power'')』(旧邦題『大いなる野望』)をリリース。ムーアとのコンビネーションは良好で数枚のアルバムと大規模なツアーに同行したが、1984年4月、ディープ・パープル再結成のためゲイリー・ムーア・バンドを脱退。その後、現在まで一貫してディープ・パープルのドラマーを務めている(唯一のオリジナルメンバーである)。 また、1999年には、ポール・マッカートニーのアルバム『ラン・デヴィル・ラン』に参加。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イアン・ペイス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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