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イカロスの墜落のある風景(イカロスのついらくのあるふうけい)は、長年ピーテル・ブリューゲルの手になると考えられてきた絵画作品である。1996年の調査で、作者をブリューゲルとすることは極めて疑わしいとされるようになり、今では、無名の画家が、ブリューゲルのオリジナルを早期に模写した良質な複製画であると考えられている〔収蔵美術館は、「ブリューゲル自身が描いたとするのは疑いがあるが、構図は確かにブリューゲル自身のものだといえる。」と述べている。〕。制作年代は1560年代と思われるが、最近の研究では異説も出ている。 オウィディウスに主題の多くをよったこの作品は、ウィリアム・カルロス・ウィリアムズによる同名の詩のテーマともなり、作品が収められているブリュッセルのベルギー王立美術館から名前をとったW・H・オーデンの有名な詩「」でも、この絵のことが言及されている。 == 構成 == ギリシア神話では、イカロスは、父ダイダロスが蝋で固めた羽根で作った翼で、空を飛ぶことに成功した。しかし、父の忠告を忘れ太陽に近づきすぎて蝋を溶かし、海に墜落して溺れてしまう。この絵でいえば、ちょうど船べりの水面にイカロスの足を見ることができる。空のはるか向こうでは太陽が水平線に沈み始めており、イカロスが太陽にまだまだ近づけなかったことを示している。 描かれた農夫、羊飼い、釣り人について、この伝承を取りあげたオウィディウスは、「驚きに打たれ、神々が天空を貫いて自分たちに近づいてくるのを見ている」と説明しているが〔、必ずしもこの作品からそのように読み取れるわけではない。むしろ、船から離れたところで空を見つめている羊飼いについては、後述のヴァン・ブレン版を見ると説明ができると思われる。すなわち、オリジナル作品では、おそらく羊飼いが見ている左手の空に、ダイダロスの姿もあったと考えられる。また、フランドル地方のことわざ(ブリューゲルは、他の作品でフランドルのことわざを表現した絵を描いている。)に、「それでも農夫は耕し続けた」という言葉があり、苦しんでいる者への人々の無関心を表していると解釈できる。オーデンの詩も指摘しているが、この絵は、イカロスの死には見向きもされず、日々の暮らしが営々として続いている場面を描くことにより、他人の苦難への人間の無関心を描こうとしているのかもしれない。 遠景の小さな人物によって主題を表現するという世界風景画は、ヨアヒム・パティニールを嚆矢とする初期フランドル派で既に確立された手法ではあったが、関係のない風俗画的な人物を、前景に大きく描くというのは、独創的なものであった。絵画のジャンルにヒエラルキーを設けるという当時の風潮に対するアンチテーゼであったともいえる。ブリューゲルの他の風景画、例えば「雪中の狩人」(1565年)を含む四季の作品では、風俗画的人物が前景に取り上げられているものの、絵のサイズと比べて、あるいは後景の「高級な」風景画と比べて、それほど大きく描かれているわけではない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イカロスの墜落のある風景」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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