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イギリス主権基地領域アクロティリおよびデケリア(イギリスしゅけんきちりょういきアクロティリおよびデケリア、)は、イギリスの海外領土を構成し、イギリスの統治権が及ぶ、キプロス島にある地域。キプロスの地位がイギリス帝国の植民地から、イギリス連邦内の独立した共和政国家に移行した際、基地については引き続きイギリスが保持することとされた。これは、キプロスが地中海において戦略上の拠点に位置していたためである。 基地は2つの地域に分かれており、一方はアクロティリ(希:、土:)で、エピスコピ駐屯地とともに西部主権基地領域 (WSBA) とされており、もう一方はデケリア(希:、土:)で、アイオス・ニコラオスとともに東部主権基地領域 (ESBA) とされている。 == 歴史 == 主権基地領域 (SBA) は1960年8月16日にチューリッヒ・ロンドン協定によって、当時イギリス帝国内の植民地だったキプロスが独立した際に創設された。イギリスは空軍のアクロティリ基地や、陸軍駐屯地などのキプロス島内の軍事拠点を確保するために、アクロティリやデケリアに主権の及ぶ地域を残したいと考えていたのである。イギリスにとってこの地域の基地の重要性として、キプロスという地中海の東の端にあり、スエズ運河や中東に近いという戦略的な位置にあることや、軍用機が使える飛行場としての空軍基地が使えること、総合的な訓練を目的に使えることが挙げられる。 1974年、トルコがキプロス島北部に侵攻し、国際的には認証されていない北キプロス・トルコ共和国を樹立させた。しかしこの事件ではイギリス軍基地の地位に影響がなく、イギリスは戦闘に関与しなかった。トルコの侵攻から逃れたキプロスのギリシャ系住民にはデケリア基地の通過が認められ、また人道支援が行われた。その後トルコ軍は基地領域のそばまで侵攻したものの、イギリスとの戦争を避けるために進軍を停止した。 ファマグスタ州南部はリゾートであるアヤ・ナパで有名であるが、ギリシャ系住民の領域として守られた。ファマグスタ市はトルコに占領されたものの、州南部のアヤ・ナパ、パラリムニや1974年まで小さな村だった地域はリゾートとして観光業が目覚ましく発展した。 2015年、イギリス空軍はアクロティリ基地からトーネード攻撃機を発進させ、シリア領内のISILに対して空爆作戦を開始した〔BBC:英空軍、シリア空爆を開始 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アクロティリおよびデケリア」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Akrotiri and Dhekelia 」があります。 スポンサード リンク
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