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本項では、イギリスの政党である労働党の派閥について解説する。 == 概説 == 労働党は、議員の間で自然発生的に誕生した保守党と異なり、議会外勢力である労働組合の連合によって誕生した政党であるため、結党以来常に複数の派閥が存在した。また、社会主義の解釈のレベルによる路線対立や、党の最終目標をどこに設定するかでも、常に論争があった。 労働党は、その結党の経緯やその構成上、国会議員から成る院内労働党だけでなく、選挙区労働党や労働組合が大きな影響力を行使できる組織であり、院内政党側には党内権力が集中しているわけではなかった〔渡辺容一郎「ポスト・ブレアのイギリス政治 -ブラウン労働党政権の意義と展望-」 『政経研究』所収 2008年〕。そのため、議会内の派閥のみならず、議会外のグループにおける諸運動も、党内の派閥対立に少なからず影響を与えた。本項では主に、議会労働党内の派閥について解説したが、議会外の運動も労働党の歴史を見る上で無視できるものではない。 一般論として、議会労働党には政権獲得を目指すべく、現実主義に立った右派の党員が多く、選挙区労働党員や労働組合の活動家には、教条主義的な左派の論者が多かった〔林信吾『これが英国労働党だ』 新潮選書 1999年 p180〕。そのため、右派は議会外勢力の影響を抑えようとし、左派は議会外勢力と連携することで党内での主導権を確立しようとしたのも、労働党の派閥抗争の特徴である。また、左派出身者が党首となった際に労働党が政権与党になったことはない。 なお、全てが正式なグループとして組織性を持った派閥という訳ではなく、ブレア派・ブラウン派の様に人脈から判断される曖昧な派閥も存在する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イギリス労働党の派閥」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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