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イギリス王立地理学会 : ウィキペディア日本語版
王立地理学会[おうりつちりがっかい]

王立地理学会(おうりつちりがっかい、)は、地理学の発展のために1830年に設立されたイギリス学会日本語では王立地理学協会とも訳される。今日においては、世界の地理学の中心的位置を占める学会であり、研究教育巡検フィールドワークを支援し、世界の人々、場所、環境についての一般法則化と詳細な理解を奨励している。
== 歴史 ==

王立地理学会は1830年にロンドン地理学会(''Geographical Society of London'')の名称で「地理学の発展」を推進する研究機関として発足した〔吉田(2010):36 - 37ページ〕。世界で3番目に発足した地理学の学会である〔吉田(2010):36ページ〕。後にローリークラブやパレスチナ協会と似た組織であるジョゼフ・バンクスが1788年に設立した旧アフリカ協会(African Association)を吸収した。多くの学会と同様に、選ばれたメンバーが最近の科学的な問題や発想について議論するインフォーマルな晩餐会を開催する「ダイニングクラブ」として始まったのである。

設立メンバーには、ジョン・バロウ(Sir John Barrow)、ジョン・フランクリンフランシス・ボーフォートらがいた。ウィリアム4世から賛助を得るようになったことから、次第に王立地理学会(The Royal Geographical Society, RGS)として知られるようになり、1859年ヴィクトリア女王から勅許状を受けた。
1830年から1840年にかけて、王立地理学会はロンドンのリージェント・ストリートにある王立園芸協会と部屋を共有し、1854年から1870年までホワイトホール・プレース(Whitehall Place)15番地に本部を置いた。1870年に、学会はサヴィル・ロウ1番地へ移転し、この住所はすぐさま冒険旅行のイメージを持たれるようになった。また、学会は国家公務員任用委員会から、バーリントン・ガーデンズ(Burlington Gardens)に講義用の劇場を借用していた。しかし、こうした配置は窮屈で猥雑であると考えられていた。

以前インドの総督を務めたカーゾン侯爵を会長に選出した1911年に、学会は新しい推進力を得た。サヴィル・ロウの建物が売りに出され、現在の学会の本部所在地であるロウザー・ロッジを100,000ポンドで購入した。ロウザー・ロッジの使用は1913年4月に開始した。同年、学会への女性の入会を認めるようになった。
ロウザー・ロッジは1874年リチャード・ノーマン・ショウがウィリアム・ロウザー(Hon William Lowther)のために建てたもので、ショウの活躍した時代には最も傑出したイギリス国内の建築であった。1929年に建物の東側を増築し、新しい地図室と750席の講義用の劇場を設置した。正式にはヨーク公(後のジョージ6世によって学会創立100周年記念として1930年10月21日に開かれた。100周年記念式典には日本から堀義貴が代表として参加した〔木内(1969):179ページ〕。
王立地理学会の歴史は、初期に「植民地」の探検、特にアフリカインド亜大陸極地中央アジアの探検と密接に関連していた。 チャールズ・ダーウィンデイヴィッド・リヴィングストンヘンリー・モートン・スタンリーら多くの探検家・旅行家を支援した。19世紀末から第一次世界大戦まで、王立地理学会の支援した探検は頻繁にトップニュースとして扱われ、学会の会長や協議会はジャーナリスト編集者らから熱心な取材を受けた。また学会の初期の歴史はイギリスの地理学界の歴史と相互に連関していた。情報、地図、海図、知識は探検を通して収集され、王立地理学会に送られ、現在のユニークな地理的コレクションを形成している。1831年から1855年まで学会では大会や他の話題について掲載する『学会論文集』(Society Proceedings)を発行していた。
1893年に、現在まで刊行されている''The Geographical Journal''誌に置き換わった。学会はイギリスの大学において教育・研究対象としての地理学を確立する上でも重要な役割を果たし、オックスフォードケンブリッジ両大学の地理学部門設立に資金提供を行った。1879年4月に日本初の地理学会である東京地学協会が発足するが、王立地理学会はその模範となった〔天野(2009):118ページ〕。初代の社長(会長)に北白川宮能久親王が就任し、皇室がパトロンになっている点も王立地理学会に倣っている〔。
地理学のより体系的な研究の登場により、1933年に王立地理学会所属のアカデミックなメンバーによって王立地理学会の姉妹学会として、英国地理学会(イギリス地理学会、, IBG)が設立された。当時の王立地理学会が貴族軍人で占められ、''The Geographical Journal''も学術的な論究の場ではなかったからである〔野澤(1999):668ページ〕。英国地理学会は学術大会、巡検、セミナー、専門の研究グループの運営を行い、学会誌''Transactions of the Institute of British Geographers''(Transactions)は現在では主要な国際誌として扱われ、地理学分野の「ランドマーク」的な研究を掲載している。当初、Transactionsは学会記事が中心で、発行は年1巻のみ、掲載される学術論文は通常1本であった〔。
1988年1月、王立地理学会は他のイギリスの地理学系学会との協議会(Council of British Geography, COBRIG)を発足させ、イギリス国内の地理学の発展と地理教育の向上を目指した〔志村(2000):7ページ〕。王立地理学会と英国地理学会は60年に渡って併存してきたが、1992年に合併が議論された。1994年に会員の投票が行われて合併が承認され、翌1995年1月に新しい王立地理学会(正式名称:''Royal Geographical Society (with the Institute of British Geographers)''、略称:RGS-IBG)が発足した。今日、王立地理学会はイギリス国内においても世界においても地理学分野の主要な学会である。ヨーロッパでは最大の地理学系学会で、世界でも最も大きな地理学系学会の1つである。イギリス国内に8つ、香港に1つの支部があり、地域での学会運営を行う。
地理学的な研究と教育、フィールドワーク、小巡検、地理学への一般の理解・人気の向上、地理情報の収集に関して多くの側面で支援と促進を行っている。ジオグラフィカル・アソシエーション(Geographical Association)や王立スコットランド地理学会(Royal Scottish Geographical Society)などの地理学系学会と協同することもある。
2004年に王立地理学会の学術的な探検や研究によって得られたイギリス国内外で重要な歴史的コレクションが初めて一般に公開された。また同年、新しい会員制度が導入され、広く一般の地理学に関心を有する人が学会に加入できるようにした。さらに同年には新しいフォイル閲覧室(Foyle Reading Room)とガラス・パビリオン(glass Pavilion)が一般公開となり、21世紀の学会の保有するものを知的・視覚的・物理的に解除した。例えば2012年にガラス・パビリオンにて1912年のロバート・スコット探検隊のヘルベルト・ポインティング(Herbert Ponting)が撮影した写真の展示を行った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Royal Geographical Society 」があります。



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