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王立空軍(おうりつくうぐん、英語:Royal Air Force)は、イギリスの保有する空軍。略称としてRAFやR.A.F.という表記があるが、日本ではイギリス空軍、英国空軍とも表記される。 1918年4月1日にイギリス軍の一部として独立した。現在、RAFは世界で最も長い歴史を持つ空軍であり、約793機の航空機と、34,200人の兵力を保有している。 国防省の目的を達成することが任務であるが、具体的には、イギリスと海外領土を確実に保障防衛すること、特に国際的な平和と保障を進める際に政府の外交政策を支えること、それらのために必要とされる能力を提供することである。 == 歴史 == RAFは第一次世界大戦中の1918年4月1日にトレンチャード子爵の働きかけで陸軍航空隊と海軍航空隊の融合によって設立された。海軍航空隊はイギリス海軍と同格の部隊で、陸軍航空隊はイギリス陸軍の管轄下にある工兵隊の一部門であったが、第一次世界大戦において航空戦力が決定的であると判明したことから、独立した空軍を設立することが決定した。当時独立空軍の編成は先駆的な試みであり、一切の航空機運用を空軍に一元化して機動部隊のうち空母は海軍、艦上機は空軍が運用するという試行錯誤が行われたが、その非効率性から1936年に艦上機を海軍に戻し、その戦力を大幅に減らした。空軍は次の大戦が始まるまでの間は比較的平和で、簡単な警備任務に従事した。 第二次世界大戦前に急ピッチでパイロット数・航空機数ともに拡張され、バトル・オブ・ブリテンではドイツ空軍がイギリス本土侵攻(アシカ作戦)のためイギリス本土とドーバー海峡の制空権を獲得しようとRAFと衝突し、1940年夏季に戦闘機軍団にとって最大の試練が訪れた。RAFは搭乗員の不足に悩まされながらも制空権を堅持し、戦争の流れを変えるのに大きく貢献した。また、RAFの最も大きな努力として爆撃機軍団によるドイツへの戦略爆撃があげられる。爆撃機軍団は、ナチス・ドイツの工業地域と都市を爆撃で破壊し、間接的に連合軍の犠牲者軽減に貢献した。沿岸軍団は、空軍以外にもイギリス海軍の艦隊航空隊からも航空機を貸与されていたが、当初は旧式機しか供給されず、ドイツ海軍のUボートを相手に苦杯をなめた。 冷戦の長期間に渡って、RAFはソビエト連邦の核兵器からヨーロッパ大陸を核抑止をもって防御するという重要な役割を演じた。イギリス帝国の衰退により世界規模な作戦行動は縮小され、1971年10月31日に極東空軍 (RAF Far East Air Force) が解散されたものの、朝鮮戦争で飛行艇部隊を派遣して国連軍の支援を行った。第二次中東戦争(スエズ危機)ではキプロス島とマルタ島から航空機を出撃させて大きな役割を果たした。 1982年に始まったフォークランド紛争では戦場が友好国の空軍基地から離れていたため、イギリス海軍とイギリス陸軍が主力となったが、RAFのハリアーも海軍の航空母艦や徴用されたコンテナ船に搭載されて、フォークランド諸島で近接航空支援を行った。アブロ バルカン爆撃機とヴィクター空中給油機もアセンション島に展開し、有名なブラック・バック作戦 (Operation Black Buck) を行った。 冷戦が終結した近年においても、RAFは1991年の湾岸戦争で100機以上の航空機を参加させ、実戦で初めて誘導爆弾を使用したことで、RAFの歴史において重要な分岐点となり、その後も空中給油機と偵察機を動員して多国籍軍を支援した。コソボ紛争(コソボ戦争)は第二次世界大戦の終結以来、初めてヨーロッパでの作戦行動となった。 アフガニスタン紛争でも多数の航空機を派遣して大規模な作戦行動を行った。同作戦でアメリカ軍のパトリオットによる誤射で攻撃機を撃墜され、搭乗していたパイロットとシステム・オペレーターの2名が死亡した。また、対空砲火で輸送機が撃墜され、10名の人員が殺傷されている。 ファイル:RAF roundel.svg|ラウンデル ファイル:RAF Lowvis Army roundel.svg|ロービジ・ラウンデル ファイル:RAF-Finflash-Noncombat.svg|フラッシュ 2015年にはシリア領内で活動するISILへの空爆作戦を開始した〔BBC:英空軍、シリア空爆を開始 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イギリス空軍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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