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経験論(けいけんろん)、あるいは、経験主義(けいけんしゅぎ、)とは、人間の全ての知識は我々の経験に由来する、とする哲学上または心理学上の立場である(例:ジョン・ロックの「タブラ・ラサ」=人間は生まれたときは白紙である)。中でも感覚・知覚的経験を強調する立場は特に感覚論と呼ぶ。 この語彙・概念自体は、元々は17世紀から18世紀にかけて生じた近代哲学の認識論において、英国を中心とする経験主義的傾向が強い議論(イギリス経験論)と、欧州大陸を中心とする理性主義(合理主義)的性格が強い議論(大陸合理論)を区別するために生み出されたものだが、現在では遡って古代ギリシア以来の西洋哲学の傾向・系譜を大別する際にも用いられる〔経験論とは - ブリタニカ国際大百科事典/日本大百科全書/コトバンク〕。 経験論は哲学的唯物論や実証主義と緊密に結びついており、知識の源泉を理性に求めて依拠する理性主義(合理主義)や、認識は直観的に得られるとする直観主義、神秘主義、あるいは超経験的なものについて語ろうとする形而上学と対立する。 経験論における「経験」という語は、私的ないし個人的な経験や体験というよりもむしろ、客観的で公的な実験、観察といった風なニュアンスである。したがって、個人的な経験や体験に基づいて物事を判断するという態度が経験論的と言われることがあるが、それは誤解である。 == 歴史 == === 古代 === 古代ギリシア哲学においては、イオニア学派に始まる自然哲学をはじめとして、ソフィスト達、デモクリトスら原子論者、そしてキュレネ派、キュニコス派、エピクロス派などが、知覚経験を重視した経験論に分類される〔。 これに真っ向から対立したのがピタゴラス学派やエレア派、またその影響を受けたプラトンであった。彼の主張したイデアは、仮象の現象界を超越したものであり、単に経験を積み重ねるだけでは認識し得ず、物の本質は、物のイデアを「心の眼」で直視し、「想起」することによって初めて認識することができるものであった。 プラトンの弟子アリストテレスは、その学問体系において、両者を調停させ、統合した〔杖下隆英「経験論」(Yahoo!百科事典) 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「経験論」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Empiricism 」があります。 スポンサード リンク
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