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イクティネオI : ウィキペディア日本語版
イクティネオI[いくてぃねおあい]

イクティネオI(''Ictineo I'')は、ナルシス・ムントリオルによって1858年から1859年に建造された潜水艇である。潜水艦黎明期に登場した先駆的な潜水艇であり、またイクティネオIIの前型である。
== 設計と開発 ==
カダケスに居住していた頃。ある日、ムントリオルは珊瑚収穫作業員の死を目撃した。
それにより彼は「水中を航行可能で、潜水夫が安全に作業できるような船―即ち潜水艇」という構想を思い立ったのであった。
だが、その構想は周囲の嘲笑の的となり、また彼にはそんな船を建造するための資金も無かった。
そのために、構想は12年間、実現されないままでいた。
だが彼の友人は、その構想は生かすべきだと彼を説得した。
また友人や一般大衆などから、十分な資金も集まった。
そのためムントリオルは、潜水艇の開発・建造を決意したのであった。
ムントリオルは潜水艇をイクティネオ(''Ictineo'')と命名した。イクティネオとは古代ギリシア語の「魚(''icthus'')」と「船(''naus'')」の2語を合成した単語であり、「魚のような船」という意味になる。なお本艇イクティネオは、後継の''イクティネオII''と区別する場合には''イクティネオI''と呼ばれる。
ムントリオルは、流体力学的観点と操舵性の上で最も理想的な船体形状は、魚体形状であることに気づいていた。
だが、耐水圧性においての最適船体形状は球体形であった。
それ故に、彼はこの二つを内部で組み合わせた。
内部耐圧殻は楕円形とし、外殻は魚体形としたのである。
そして内殻と外殻の間の空間には、バラストタンクなどの装備が設置された。
1857年9月にバルセロナに帰って来たムントリオルは、
10,000ペセタの資本金で、潜水艇に関する営利団体「''Monturiol, Font, Altadill y Cia''」を創立した。
そして1858年に、その計画に関する科学的論文を「イクティネオ、または魚船」(''The Ictineo or fish-ship'')の名で発表した。
1859年6月28日、イクティネオ初航海への準備が整ったムントリオルは、
イクティネオをバルセロナ港へ進水させた。
だが不運にも、イクティネオは水中の杭に衝突して一部が損壊してしまった。
損壊箇所を完全に修理するには資金が足りなかったので、
取り敢えず被害を受けた舷窓、外殻、バラストタンクのみが応急修理され、
最大潜航深度を20mまでに制限することで対処された。
1859年の夏、ムントリオルは商売仲間や造船所作業員らと共にイクティネオに乗り込み、20回以上の実験を行った。
彼は次第に潜航深度を増加させて行き、やがて制限深度の20mに達した。
実験により判明した事柄は、耐圧殻内部酸素のみを使用した場合でも乗組員は2時間の潜航が可能であることと、
彼らの忍耐力次第で圧縮酸素と二酸化炭素清浄機の利用時間を倍増できる、ということであった。
またイクティネオの操縦性は良好であることが判明したが、人間の筋肉による動力では、その最高速度は失望的なものに過ぎなかった。
イクティネオは約50回の潜航の後の1862年1月、
港に投錨中に貨物船に激突されて破壊されてしまった。
その後、より改良されたイクティネオIIが後継として製作された。
現代では、バルセロナにある海洋博物館にてイクティネオの複製模型が展示されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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