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イクティネオII(''Ictineo II'')は、ナルシス・ムントリオルによって、スペインはバルセロナで建造された潜水艇。イクティネオIの改良型として建造され、1864年に進水した。極めて先駆的な性能を有しており、非大気依存推進が可能な世界初の潜水艇であった。 == 開発経緯 == ムントリオルを筆頭とする潜水艇協会は、1860年にイクティネオIを進水させ、約50回の潜水試験を行っていた。しかし、イクティネオIはあくまで実験艇であり、ムントリオルは更に高性能なII号艇であるイクティネオIIの建造を計画していた。 イクティネオIIの船体は1864年の夏に完成し、同年10月2日にバルセロナ港(en)で進水した。その後、各種システムの内部作業の後、1865年5月20日に試験航海及び潜水試験を行い、成功を収めた。 しかし、同年6月16日の潜航中に浸水事故が発生。これの原因の修理と試験潜航時に発覚した不具合の修正のため、イクティネオIIは四ヶ月間の修理を余儀なくされた。この修理の際に二酸化炭素除去装置の改良が行われている。 同年11月に修理が完了した後、12月にはスペイン政府へのアプローチの為、武装化改修が行われた。イクティネオIIは12月22日から三回に渡って武装の実演を行ったが、港湾当局によって火器の使用の停止が命令され、ムントリオルのもくろみは潰えた。 その後、航続距離の延長のため、ムントリオルは全金属製・動力化されたIII号艇の建造を計画したが、資金難からイクティネオIIの動力化に止まった。この時期、ムントリオルはスポンサー探しの一環として、1866年7月3日にアメリカ海軍に向けて武装型イクティネオIIの販売を打診している。 動力化改造は1867年に完了し、10月20日に水上での動力航行を、12月14日に水中での動力試験を行ったが、12月23日に潜水艇協会が破産したため、水中での動力航行が行われることはなかった。その後、ムントリオルの唯一の財産であったイクティネオIIは債権者に差し押さえられた後に売却され、スクラップとして解体された。 ムントリオルは1869年に『潜水工学に関する考察』という書籍を執筆した。同著は300ページに及び、潜水技術の歴史や潜水艇の用途などと共に、イクティネオIIの建造方法や図面が記されている。同著は1870年1月1日に完成し、当初はスポンサーが見つからず出版される事はなかったが、ムントリオルの死後の1891年に有志らが資金を集め、出版にこぎつけた。また、有志らは同著一部を大英図書館へと送っている。 現在では、イクティネオIIの実物大レプリカがバルセロナ港に展示されている他、バルセロナ市内のディアゴナル通り(en)にジュセップ・マリア・スビラクス(en)の手によるイクティネオIIの彫刻が飾られている。また、一部の部品がバルセロナ海洋博物館に所蔵されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イクティネオII」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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