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イサハヤは日本の競走馬である。1935年春の中山大障碍に優勝した。 平地初出走は1932年春の中山新呼戦。5日の開催すべてに出走したが着外に終わり、続いて東京の新呼戦に4回出走して2着1回、3着2回という成績をのこし、福島で初日3着の後に2日目で初勝利を挙げ、優勝戦にも勝利した。同年は更に中山、福島でそれぞれ1勝を挙げたが、優勝戦に勝つことはなかった。 1933年春は中山、東京、横浜、福島と転戦し、東京では重馬場の帝室御賞典で優勝したアスコツトにハナ差の2着に惜敗。福島では2日目に勝った後に帝室御賞典、優勝戦に出走したが、いずれも4着に敗れた。同年秋は福島で1勝、横浜で勝入ハンデキャップなど2勝を挙げ、中山ではカブトヤマ、東京のハンデ戦ではワカタカをやぶって勝利したが、優勝戦では福島で4着となったほかは着外といいところがなかった。長距離の重賞には縁がなかったものの、平地では計10勝を挙げ、重馬場、連闘を苦にすることはなかった。 6歳となった1934年春から障害入りし、中山で出走3度目で初勝利を挙げたが、優勝戦で転倒してその後春シーズンを全休。秋は横浜3回、東京で1回出走したが、未勝利に終わった。しかし、1935年春の中山では得意の不良馬場となり、まず2日目の障碍特ハンに勝った。6日目の中山大障碍はわずか3頭の出走にとどまり、イサハヤは1番人気に推された。レースでは障害4勝のトカチイチマルに1馬身3/4の差をつけて優勝。同じく不良馬場で行われた第1回のキンテンのタイムを11秒2/5更新した。 その後は東京、横浜で特ハンに出走したが勝てず、秋シーズンから1935年の1年半は不出走のまま引退。生まれ故郷の青森に戻り、シヤインと名を変えて1936年から1941年まで種牡馬生活を送ったが、わずかに産駒のチイカが新潟の新抽戦で1勝したのみで目立った成績は残せなかった。 == 競走成績(障害競走のみ) == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イサハヤ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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