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イサベル・デ・ボルボーン : ウィキペディア日本語版
イサベル・デ・ボルボン

イサベル・デ・ボルボン(Isabel de Borbón, 1602年11月22日 - 1644年10月6日)は、スペインフェリペ4世の最初の王妃。フランス語名ではエリザベート・ド・フランス(Élisabeth de France)またはエリザベート・ド・ブルボン(Élisabeth de Bourbon)と呼ばれた。
フランスアンリ4世と王妃マリー・ド・メディシスの長女(第2子)としてフォンテーヌブローで生まれた。フェリペとの政略結婚は、カトリック二大勢力であるフランス・スペインの政治的同盟の証として伝統的におこなわれたものである。この伝統は、カトー=カンブレジの和議フェリペ2世エリザベート・ド・ヴァロワが結婚して以来続いていた。2人には7子が生まれたが、5人は幼児のうちに早世し、アストゥリアス公バルタサール・カルロスと末子マリア・テレサのみが成長した。しかしイサベルの死後、バルタザール・カルロスも逝去した。
* マリア・マルガレータ(1621年 夭折)
* マルガリータ・マリア・カタリーナ(1623年 夭折)
* マリア・エウヘニア(1625年 - 1627年)
* イサベル・マリア・テレサ(1627年 夭折)
* バルタサール・カルロス(1629年 - 1646年) アストゥリアス公
* マリア・アナ・アントニア(1636年 夭折)
* マリア・テレサ(1638年 - 1683年) フランス王ルイ14世



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イサベル・デ・ボルボン」の詳細全文を読む



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