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ケ号作戦(ケごうさくせん)は第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)2月1日から7日にかけて行われた、日本軍のガダルカナル島撤退作戦。作戦名の由来は捲土重来による。作戦は3回に分けて行われ、沈没艦は駆逐艦1隻のみで日本軍の撤退は成功した。撤退中に発生した戦闘についてはイサベル島沖海戦と呼称されることが多い。撤退により救出された日本軍は1万名余りだった。 ''なお、キスカ島からの撤退作戦もケ号作戦(作戦名の由来は乾坤一擲より)というが、これについてはキスカ島撤退作戦を参照。'' == 背景 == ガダルカナル島の戦いにおいて、1942年(昭和17年)8月7日の連合軍上陸から5ヶ月を経過し2度の総攻撃を行ったもののヘンダーソン飛行場基地の奪回は成らず、糧秣弾薬の補給が輸送船の沈没や駆逐艦の大量消耗により継続できなくなり、日本軍は同年12月31日の異例の御前会議でガダルカナル島からの撤退を決めた。撤退は翌1943年(昭和18年)2月に行われることとなったが、これを隠すため航空攻撃や物資輸送は続けられた。そのため、アメリカ軍は日本軍の撤退作戦完了後も、撤退の事実を知らず逆にガダルカナル島への新たな日本軍増強のための駆逐艦輸送と考えていた。 またこの撤退に際しての企画は、以下のようなものであった。 * ガダルカナル島西へ兵員を移動し、防御陣地を築いて撤退準備をすること。 * ガダルカナル島西方にあるラッセル諸島を占領し、これを中継基地として使用すること。 * 戦病者を優先し、第2師団・第38師団と撤退していくこと。 * 同時に陽動の為に陸軍は陽動隊を上陸させること。 * 残存兵は潜水艦等により撤退させること。 こうした一連の動きにより、アメリカ軍に対し再び日本軍によるガ島総攻撃があると思わせるのが 日本軍の意図であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケ号作戦」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Operation Ke 」があります。 スポンサード リンク
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