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イサ・ヤマダエフ(、1975年 - )は、ロシア連邦チェチェン共和国の政治家、軍人、実業家。ロシア連邦軍第42親衛自動車化狙撃師団第291自動車化狙撃連隊ヴォストーク大隊第5中隊長、上級中尉。建設会社「ヤマド」社社長。 チェチェン最大の部族の1つであるベノイ部族に属し、グデルメス市を支配するヤマダエフ氏族出身。6人兄弟の五男。 ==経歴== 第1次チェチェン戦争時、ヤマダエフ兄弟は、独立派を支持したが、後にイスラム原理主義者と対立し、第2次チェチェン戦争では、ロシア連邦に投降した。 2003年4月、戦死した兄ジャブライルへのロシア連邦英雄称号授与と関連して、母と共に国防相セルゲイ・イワノフと会見した。同年11月、ヴォストーク大隊が編成され、兄スリムが大隊長に任命された。イサは、2005年頃から同大隊の第5中隊長として勤務した。 2000年代、ヤマダエフ一族は、チェチェン復興のための建設ビジネスに従事した。特にイサは、建設会社「ヤマド」社の社長となり、「ヤマド・セメント」、「ヤマド・ストロイ・トランス」等の子会社を保有した。 2003年、統一ロシアチェチェン地域支部長政治会議議員。2005年11月、チェチェン共和国議会人民会議(下院)代議員に選出。 2008年頃からヤマダエフ氏族は、ラムザン・カディロフと対立し始めた。同年6月、チェチェン議会の一院制への改編に伴い、イサは議員職を失った。2008年8月、兄のスリムが大隊長を解任され、予備役に編入された後も、イサは、第5中隊長として勤務し続けた。 2008年9月24日、兄のルスランがモスクワで暗殺され時、イサは、カディロフを非難した。 2009年3月28日、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイにおいて、兄のスリムが暗殺された。イサは、兄の遺体を引き取ったが、後に兄が生存しており、UAEの特務機関により保護されていると表明した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イサ・ヤマダエフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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