翻訳と辞書
Words near each other
・ イシドル (サンクトペテルブルク府主教)
・ イシドルス
・ イシドロ・ガルシア
・ イシドロ・デル・プラド
・ イシドロ・バレンシア
・ イシドロ・ペレス
・ イシドロ・ランガラ
・ イシドールス
・ イシドール・イズー
・ イシドール・トラウズル
イシドール・フィリップ
・ イシドール・ラビ
・ イシナギ
・ イシナギ属
・ イシナギ科
・ イシネカプ
・ イシノアラシ
・ イシノサンデー
・ イシノスキー
・ イシノヒカル


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

イシドール・フィリップ : ウィキペディア日本語版
イシドール・フィリップ

イシドール・フィリップIsidore Philipp, 1863年9月2日 ブダペスト1958年2月20日 パリ)はハンガリー系フランスピアニスト・音楽教育者。
少年時代にパリに移る。パリ音楽院ピアノショパン門下のジョルジュ・マティアスに師事。1883年に音楽院を首席で卒業してからは、カミーユ・サン=サーンススティーヴン・ヘラーリスト門下のテオドール・リテールに師事。1890年にソリストとしてロンドンにデビューする。
1903年から1934年まで母校の教授を務める。それに加えてフォンテーヌブローのアメリカ音楽院でも教鞭を執る。主要な門人にアーロン・コープランドギオマール・ノヴァエス、ヴィルフリート・ペレチエ、アルベルト・シュヴァイツァーアレクサンドル・チェレプニンアンリエット・ピュイグ=ロジェベヴァリッジ・ウェブスターモニク・ド・ラ・ブリュショルリらがいる。
1940年米国に移住し、かつての門人ドワイト・アンダーソンの援助のもと、さしあたってルイスヴィルに落ち着く。その後はニューヨークモントリオールで教鞭を執った。1955年、92歳のとき告別演奏会を開催。
1977年にルイスヴィル大学において、「米国リスト協会」の看板のもとにフィリップ文庫が創設された。フィリップの作品のほかに新聞報道や写真にくわえて、リストやサン=サーンス、マスネブゾーニらといった大家や門人と取り交わされた私信が保存されている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イシドール・フィリップ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.