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上野 石之助(うわの いしのすけ、1922年10月 - )は、元日本国籍のウクライナ人。ウクライナでは「イシノスキー」の名で生活している。 上野は岩手県九戸郡大野村(現在の洋野町)出身の元日本陸軍兵士。1935年に旧大野村尋常小学校を卒業。1943年に召集され、南樺太の陸軍部隊に所属し、樺太で終戦を迎えた。終戦後もそのまま樺太に残留、現地で結婚していたが1958年を最後に連絡が途絶え、2000年に盛岡家庭裁判所で戦時死亡宣告が確定していた。 1958年に連絡が途絶えた後、妻の実家があるウクライナの首都キエフの西にあるジトームィル市に1965年に移住した〔元兵士ウクライナで生存 2012年3月8日閲覧〕が、その間の経緯については本人が明かしていないため不明。以来、現在も同地で暮らしている。 2006年4月19日に63年ぶりに来日し〔上野石之助さん帰国 デーリー東北新聞 2012年3月8日閲覧〕、その際に最初に喋った言葉が「 !」、ロシア語で「(皆さん)こんにちは!」の意味の言葉であった。 ちなみに、上野は長いウクライナでの生活の中で日本語をほとんど忘れてしまった。好きな歌はウクライナ国歌であるという。 洋野町内には実の弟と妹とその家族が暮らしている。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上野石之助」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ishinosuke Uwano 」があります。 スポンサード リンク
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