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イシュトヴァーン4世[いしゅとう゛ぁーん4せい]
イシュトヴァーン4世 (IV. István、1133年 - 1165年4月11日)は、ハンガリー王。 若い頃に長兄ゲーザ2世と対立して東ローマ帝国へ逃れ、マヌエル1世コムネノスの庇護を受けた。1157年頃、東ローマ皇族の娘マリア・コムネナと結婚。兄ゲーザが若くして亡くなると、次兄ラースロー2世が貴族の大多数の支持を受けて即位し、幼い甥イシュトヴァーン3世と対立。彼はラースローの側につき、彼が毒殺された後に替わって即位した。しかし1163年初め頃には支持を失い、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世が率いた軍に加勢されたイシュトヴァーン3世軍に大敗北を喫し、囚われの身となった。エステルゴム大司教ルカスの忠言でイシュトヴァーン3世は叔父を解放し、再度東ローマ帝国へ逃げ込んだ。 マヌエル1世コムネノスは数回ハンガリーへ遠征軍を差し向けるが撃退され、イシュトヴァーン3世と和睦を結んだ。利用価値のなくなったイシュトヴァーン4世は冷遇され、ジモニー(現在のゼムン)要塞の監督を任された。彼はそこを拠点にして幾度かハンガリー領内へ侵攻を繰り返した。しかし、イシュトヴァーン3世軍がジモニー要塞を包囲すると、イシュトヴァーン4世は降伏する前に味方によって毒殺された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イシュトヴァーン4世」の詳細全文を読む
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