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イジャスラウ1世 : ウィキペディア日本語版
イジャスラフ1世[いじゃすらふ1せい]
イジャスラフ1世(Изѧславъ, 1024年 - 1078年)は、キエフ大公(在位:1054年 - 1068年1069年 - 1073年1076年 - 1078年)。父はヤロスラフ1世、母はスウェーデン王オーロフ娘インゲゲルド。
1024年にキエフに生まれる。1054年に父を継いで大公になり、弟スヴャトスラフ(後のスヴャトスラフ2世)、フセヴォロド(後のフセヴォロド1世)とともに大公国を治める。1068年にはポロツク公フセスラフにより一時的にキエフ(及び大公位)を奪われる。1073年以降、2人の弟と不和に陥り、大公位はスヴャトスラフに移るが、彼の死後、イジャスラフはフセヴォロドと和解し、3度目の大公位につく。1078年に、フセヴォロドと合同で、スヴャトスラフの子オレークと戦うが、そこで戦死する。
ポーランドカジミェシュ1世の娘ゲルトルダ(ru)との間に3人の息子を得た。ポロツク公ムスチスラフトゥーロフ公ヤロポルク、そして後にキエフ大公になるスヴャトポルク(スヴャトポルク2世)である。娘のエウプラクシアは、ポーランド王ボレスワフ2世の息子メチスワフに嫁いだ。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イジャスラフ1世」の詳細全文を読む



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