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イジャスラヴリ公国[いじゃすらう゛りこうこく] イジャスラヴリ公国(、)後にザスラウエ公国()とは、現ベラルーシ・ザスラーウエを首都とした、中世ルーシの分領公国である。その歴史の後半にはリトアニア大公国に所属した。 == 歴史 ==
公国の首都のイジャスラヴリは、10世紀末にキエフ大公ウラジーミル1世が、息子の一人であるイジャスラフのために建設した。都市の年代記上の初出は1127年の記述であり、また都市の名はこのイジャスラフにちなむ。イジャスラフは最初のイジャスラヴリ公となった。 イジャスラヴリ公国は11世紀に一時ポロツク公国に組み込まれるが、1101年のポロツク公フセスラフの死後に再び分離し、おそらくフセスラフの子のダヴィドの所領となった。1160年代には、イジャスラヴリ公国からロゴジュスク公国が分離した〔Алексеев(1966),p76〕〔Довнар-Запольский(1891), p56〕。なお1180年代には、イジャスラヴリ公国はロゴジュスク公国の一部を占領している。 1320年代にはリトアニア大公国のアルギルダスの所領となり、1345年にはアルギルダスの兄弟のヤヴーヌティスに与えられた。その後、リトアニアの貴族の家門の一つであるグレボヴィチ家(ru)に譲渡されるまで、ヤヴーヌティスの子孫がザスラウエ公(ザスラウスキー公)として統治した。なお、グレボヴィチ家のヤン(ru)(1544年生 - 1590年没)の統治期には、イジャスラヴリの領主は公(クニャージ)ではなく、伯(グラフ(de))の称号を帯びるようになっていた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イジャスラヴリ公国」の詳細全文を読む
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