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イスマエル・ウルサイス・アランダ(Ismael Urzaiz Aranda, 1971年10月7日 - )は、スペイン・ナバーラ州・トゥデーラ出身の元サッカー選手。スペイン代表とバスク代表でプレーした。 == 経歴 == === クラブ === ナバーラ州トゥデーラに生まれ、レアル・マドリードの下部組織で育った。1989年、セグンダ・ディビシオンに所属していたレアル・マドリードBからプロデビューし、1990-91シーズンにはUEFAチャンピオンズカップのオーデンセBK戦でトップチームデビューしたが、プリメーラ・ディビシオンでは1試合も出場していない。1991-92シーズンはアルバセテ・バロンピエにレンタル移籍し、1991年10月のアスレティック・ビルバオ戦に途中出場してプリメーラ・ディビシオンデビューした。1993年1月にはセルタ・デ・ビーゴにレンタル移籍し、6試合に出場して1得点を挙げた。1993年夏にはラーヨ・バジェカーノに完全移籍したが、1994年夏にはUDサラマンカに、1995年夏にはRCDエスパニョールにとチームを転々とした。セグンダ・ディビシオン(2部)に所属していたUDサラマンカではリーグ戦で3得点しか挙げられずにいたが、昇降格プレーオフのアルバセテ・バロンピエ戦では2得点してプリメーラ・ディビシオン昇格に貢献。RCDエスパニョールでは能力を見せつけ、ラーヨ・バジェカーノ戦でハットトリックを達成するなど13得点を決めてリーグ戦4位フィニッシュに貢献した。 1996年夏にアスレティック・ビルバオに移籍し、11シーズンでリーグ戦367試合に出場して115得点を挙げている。1996-97シーズンは自己最高の16得点を奪い、1997-98シーズンはリーグ戦2位躍進に貢献した。その結果1998-99シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得し、同大会では10試合に出場して1得点した。2001-02シーズンは再び16得点を挙げ、2002-03シーズンも14得点を決めた。11シーズンのうち6シーズンで二桁得点を挙げたが、2000年代後半には下部組織出身のフェルナンド・ジョレンテが台頭し、ポジションが重なるウルサイスは2007年夏にチームを離れた。 2007年7月19日、ガブリやアルベルト・ルケなどのスペイン人が所属するオランダ・エールディヴィジのアヤックス・アムステルダムと1年契約を結んだ。UEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグのスラヴィア・プラハ戦でデビューしたが、わずか3試合に出場しただけで契約満了を迎え、37歳の時に現役引退を発表した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イスマエル・ウルサイス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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